先日、結婚相談室の仲人さんとお話をした。
年はちょうど母親くらいの歳の差になるのだけど、趣味で俳句をひねり、新聞や本もよく読む。
言葉の隅々に瑞々しい感性が行き届いていて、とにかく人を引きつける。私もいつも2、3時間は話し込んでしまう。
その人が、「先日亡くなった八千草薫さんの評伝がすごく良かったから、ノートに貼り付けたのよ〜」と楽しそうに話してくれた。
八千草薫さんの評伝を読む
早速、新聞のバックナンバーを開いてみると、10月29日の読売新聞朝刊に、件の記事が掲載されていた。
こう言った記事は簡潔な中に生き様、仕事や人柄、エピソードを折り込み、その人の生涯を一つのテーマにまとめなければならない。
一読して、ああコレは頭の中に練り込んでおきたいな、と思わせる素晴らしい文章だった。
ほほ笑むだけで周りが華やかになる、という優しげな人柄と演技への情熱、美しい音楽に魅せられての宝塚入団。
その後の女優への転身、おっとりとした良妻賢母のイメージのあった彼女が、ドラマ「岸辺のアルバム」では不倫に走る主婦という、これまでのイメージをぶっ壊すような役にも挑んだこと。
最後は自然に演じることへの彼女の信念にふれ、最後の舞台「黄昏」での演技に彼女本人の姿を重ね合わせる。
500字前後で、彼女の88年を素敵にまとめ上げてて、読んでて好感が持てた。
評伝をノートに写す
読み応えのある文章、自分が惹かれる文章はただ読み捨てるだけではもったいない。
理由が上手く説明できなくても、自分が惹かれる何かを持っているからだ。
早速、ノートに書き写すことにした。

ノートは、普段読書した時に使う抜き書き用のノート。このノートは時々見返して、気づいたことを書き込むようにしている。
そのために罫線の外側にたっぷり余白を持ったノートを使っている。
ちなみに今回の評伝は1時間ほどで写し終えた。
「写す」ことは熟読より効く
昔、ある作家は志賀直哉の作品を自分の手で書き写すことで文章力を養っていたらしい。
大分格が落ちるけど、私も学生時代に「編集手帳」や社説を書き写した。
文章を日常的に書く仕事についてからは量を読みつつ、コレは?と思った文章を写すようにしている。
大工さんがノコギリやカンナの手入れを怠らない、板前さんが包丁の手入れを欠かさないのと同じようなものかも知れない。
この書き写す、という行為は熟読よりもさらに時間がかかる。
ただ、「書き写す」というのは筆者の筆の走りや文章の練られた感じを理解し、その人の筆致を体得するのにこれほど優れたトレーニングはないんじゃないかと思う。
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