『読書術』考

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僕は大学時代から、読書量だけは少し人よりも多めでした。

大学時代は1日1冊を読むことを自分に課していたし、今でも週に1冊の割合で本に親しむように心がけています。

もちろん、私が新聞社勤務で、記事取材や原稿の作成、広告制作に日本語を使う必要があるから、常に自分の力を維持し、それ以上に積み増したいという気持ちがあるのも事実です。

だけどそれだけではやっぱり中々説明が十分にいかない気もします。

やはり本が好きなんだろう、そう思います。

ところで、大学時代の私の悩みに「自分の中に読書の記憶があまり残らないこと」がありました。

読んでも、最後までページをめくって『読了!』と悦に入っていた時期もあるのですが、別に指の運動ではないのだし、自分の中に残しておきたいものだと思うのは自然だと思うのです。

そこで当時読書家として知られ、知の巨人と言われていた立花隆氏の「僕はこんな本を読んできた」という一冊から、「本の読み方」について考えるようになりました。

本屋では、いつでも読書術の本は必ず一冊はあるし、現在の私の本棚でもざっと見るところ、佐藤優、齋藤孝、堀紘一、見城徹、日下公人といった人の読書術の本が並んでいる。しかし、こういった本を読んでいて、必ず引っかかってくる「ジレンマ」があるのです。

読書術のジレンマ①―難しい本ばかり紹介される

それは、紹介される本が私のレベルよりはるかに高いということ。

偉そうに言うまでもないけれど、紹介される本って全部読み切れないほど質量ともに充実しすぎて、私自身読み切れないほどです。

でも、それだと悔しいからなんとかくらいついてやろうと10回に1回くらいはチャレンジするのだけれど、たいていの本は読み切れず死蔵され、次に日の目を見るのはブックオフに売るために紙袋に詰め込んだとき、だけだったりします。

なんて俺ってバカなんだろう…って自己嫌悪になりました。

読書術のジレンマ②―教えてもらった読書術を実践できない

あともう一つが、本の読み方、例えば…

「読書メモを取る」とか、「書き込みを3色ボールペンで入れる」とか、「波線と点線で使い分ける」、「カギカッコで本文をくくる」とか様々なノウハウが紹介されます。

覚える前に、そういった方法を試してみようと思うのですが、乗りに乗っているときは先を読みたくなるものだし、じっくり読もうとしているときは、逆に何か所も「?」な場所が出てきてどこにチェックを入れるべきか迷い、その挙句「できない奴の参考書」みたいに全文に傍線を引っ張って、何が大事か分からなくなったり…。

著者がこんだけ実践している読書術を余さず開陳しているのに、それが実践できないのはなんと情けない事だろう…と悩んだこともあります。意思が足らんのか、能力がないんか…とウジウジしてたこともあります。

結局、読書術を読むということは「自分の至らなさを再発見する」という謙虚な気持ちを思い出させる、というそれノウハウ違う!という結果になるし、また本の内容を覚えられないという問題も解決できませんでした。

解決法その①―なんでも取り入れず、できる範囲で真似する

色々やってきて、自分の中で根付いたかなと思うのが、読んだ本をブログにまとめたり、ノートにとってみるといった方法。

昔、アドルフ・ヒトラーは朝飯を食べながら、延々と昨夜読んだ本の話をするのを好んでいたといいます。これは自分の記憶を定着させるのにかなり有効だったようで、出来る人はこれがおススメだということでした。

ただ、誰でもそうだと思いますが、「関心のない話を聞かされる」というのは基本苦痛です。

そして、「難しそうな話をする人」は嫌われます。敬遠されます。

代替案として、私はノートに書いたり、ブログで感想を書きなぐってみたりしています。

読書メモを取るアイデアを頂いたのは作家の佐藤優さんの読書術からですが、彼のやり方で従っているのは「ノートを1行空けて取る」ところだけ。あとは、一応原典、日時を欄外にメモするくらい。

後は、「人のおススメ本はつまらない」ということが多い。読書術でも推奨図書がリスト化されていますが、片っ端から買うのではなく、これなら何とかなるかな…というところを1冊か、2冊をじっくり読むスタイルに変えました。

解決法その②―自分のバカを隠さず、堂々と手を抜く

また、基本書は原典でなくマンガや、中学生向けに描かれた入門書、果ては中学校、高校の教科書を読む形にしています。

特に哲学は、「要は何を書いているのか?」が分からなければそもそも意味がない。

昔、ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』を読みましたが、訳が分かりませんでした。半年ほど悶絶し、結局読了したものの、肝心の中身は全く入りませんでした。

今の私は、こんな無駄なことはしません。

それなら高校の倫理の参考書を開いて、ニーチェの項目を読みます。

3ページほどでザックリとニーチェの時代背景や同時代の思想家たちとの比較など、大体のことが分かります。

また、「100分de名著」の冊子を読んで、『ツァラトゥストラはかく語りき』のエッセンスを分かりやすく教えてもらいます。

原典を力業で読んでみても、残るのは自己満足だけでは仕方がない、という時はこういう割り切り方をしています。

読書法は実践して、残ったものを使う

結局、当代一流の本の読み手たちも、その方法を確立するためにあっちにいったり、こっちにいったりと試行錯誤をしていると思うのです。今、自分の手元にある読書法の著者たちにしても、初めからこういうノウハウを確立していたとは考えにくい。

だから、読書法を読んで、学ぶ立場の私としては「すごい読書法」を参考にしつつ、絶対視しないで、自己流にアレンジする。

また、本のノウハウはどんどんパクっては試し、使いづらいものより使いやすいもの、時間がかかるものより時短できるものを取り込む…といった自分なりの読書法を確立する、というあたりに気が付きました。

だけれど、つい買っちゃうのが読書術の本の面白さで、多分これからも買って、試してみると思います。

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