この記事はテレビ番組『水曜日のダウンタウン』で話題になった
「本物のハチ公を見たことがある人、まだギリこの世にいる説」が面白かったので、忘備録代わりに記録してまとめてみました。
2022年4月の放送をさかのぼること87年…昭和10年(1935年)にハチ公が亡くなっているので、まだ90代ならギリ、いるんじゃないかという企画でしたが、これが抜群に面白い。
本物のハチ公は「焼き鳥」目当てで駅に通ってた!?
捜査は最初、渋谷駅周辺に残る古い店を訪ね歩くところから始まるのですが、もうすでに実際に見た人たちは亡くなられていて、おばあさんやお父さんなどからの「また聞き」でした。
しかし、そこで「当時の渋谷は焼き鳥屋の屋台が多くて、酔客からおこぼれをもらってた。電車が終わると屋台も店じまいだから、ハチ公も帰る。毎日それを繰り返していた」と話していた、と証言しています。
これ、死後にハチ公の検死をした獣医も「胃の中から、焼き鳥の串が見つかった」と証言していまして、どうも結構ゴチになっていたみたいですね。
ハチ公が渋谷駅に通ったのは元主人を待っていた…というのは、ハチ公を紹介した新聞記事で勝手に作ったものなんで(当然ですがハチ公しゃべれないから何考えていたかは不明)
まぁ、それに乗っかって忠義を称揚するために利用されちゃったという一面もあります。
当時作られたハチ公の肉声レコード(鳴き声だけじゃ当然尺が足りないので、ナレーションの解説付き)は当時の文部省推奨だったというのもあるでしょうね。
続々登場!「本物のハチ公を見た人」の証言
で、番組が進むごとに、出てくる出てくる!証言者!!
昭和6(1931)年、ハチ公が亡くなる4年前に生まれた女性は、父親が営んでいた渋谷の店先で
「ハチ公が通るよ!」という声で表に出たら、結構大きな犬が店先の道をスーッと通っていた
と証言。
また、大正15(1926)年生まれの女性は山手線の車窓から、渋谷駅周辺でハチ公が道を渡るのを目撃したといいます。
道路を、左を見て、右をみてと確認して渡っていた
また、昭和3(1928年)生まれの女性は
改札のところをウロウロしていたハチ公の様子を目撃。
改札の前をじっとしてないで、ウロウロしていた。おとなしい犬でみんな頭をなでていた。あまりきれいじゃなかった。
まぁ、このハチ公、何回も野犬狩りで捕まってるんですよね。
おとなしい犬だから簡単に捕まっちゃう。飼い犬だったから首輪をしてたんだけど、犬の首輪って「安産」のお守りだから誰かが持って行っちゃう。だから薄汚い首輪をしてない犬というと
野犬狩りの対象になってしまった、というわけ。
ちなみに、新聞記事(前掲)が出る前の話ですが。
同じく昭和3年生まれの男性は、当時大崎に住んでいて、渋谷駅にいたハチ公の頭を撫でていたと証言。それに加え、
「ハチ公を母が飼っていた」という人に偶然会い、
ハチ公の右耳がなぜ、折れているかの話を教えてもらったと語っていました。
それによると…ハチが他の犬とケンカして帰って来た。
先っちょの方が切れていたので、そのお母さんが縫って上げたんだけど、上手に縫えなくて耳がピンとたった元の形に戻らなかった…とのこと。
あの、ドクター中松もハチ公を見ていた
ここまでは一般人なんで、名前は伏せておりましたが、実はもう一人有名人で目撃者がいました。
発明家?のドクター中松さんです。
まぁ、この方良くしゃべる(笑)。
どうでもいい話ですが、商品先物の営業という仕事をやっていた友人が、ドクター中松に営業行ったら、「ドクター中松とウナギを食う会」に参加しないか?と逆営業をかけられた…と話していましたが、噂にたがわぬ押しのつよさ(笑)。
関係ない話に横道に逸れようとするのを何とかなだめて、証言してもらったみたいです。
前足を投げ出して寝そべっていた。ワンともいわないおとなしい犬
と証言してましたね。
番組よりも、ちょっと長めの「ハチ公出演作」を見よう
番組では実写のハチ公出演映画として、後の東宝が昭和9年に制作した『あるぷす大将』が紹介されていました。
この作品はどうやら「生きたハチ公が見れる映画」として認知されているようで、YouTubeにも以前テレビで放送されたものがアップされていました。
ちなみに上の映像では「ハチ公が焼き鳥をもらってた話」に出た当時の渋谷駅前の様子もバッチリ映り込んでおります(笑)。
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