『粗にして野だが卑ではない』再読

読書感想文

昨日ふと読みたくなって、城山三郎の『「粗にして野だが卑ではない」石田禮助の生涯』を購入。楽しく読了しました。

もしかしたら絶版かなと思っていましたが、さすがジュンク堂。ばっちりありました。

大学時代、通学時間が1時間くらいかかりました。20年前はスマホなんてないですから、毎日電車の中で様々な本を読んだものです。その中の一冊でお気に入りだったのが本書。石田禮助さんの痛快で筋の通った人柄が大好きで、何回も繰り返し読んだことを覚えています。

石田禮助さんとは、誰?

石田禮助さんは明治19年生まれ。

東京高等商業学校(現在の一橋大学)卒業後、三井物産に入社します。彼の面白いところは物産の仕事を主に海外で過ごします。そして海外での生活を通して、合理主義的な考え方と社会奉仕の精神を学び取ります。

同社には35年勤め、最終的には同社の代表取締役社長にまで上り詰めますが、彼の活躍した海外市場は戦争の荒波を受け、彼もその余波で同社を去ることになります。

しかし有能な人材が引き手あまたなのはいつの世も一緒。産業設備営団顧問や公益営団総裁を務め、戦後の公職追放後は自宅のある国府津で農業をする生活を送っていました。

しかし、昭和31(1956)年に国鉄の監査委員長として実業界に復帰し、その後昭和38(1963)年「最後のご奉公」として、78歳になって国鉄(現JR)の総裁に就任します。

問題だらけの国鉄を立て直すために奮闘

JRの関係者の皆様には申し訳ないのですが、国営企業だった当時の国鉄は鉄道や船舶の老朽化が進む一方で、都市圏での輸送客が爆発的に膨れ上がるという極めてアンバランスな状態でした。

事実、石田総裁就任後に鉄道事故も発生(鶴見事故)して多数の乗客が死亡するなど、まさに四方八方難問だらけ。

その上国営企業であることも相まって、運賃などの転嫁もできないし、新駅を作れといった陳情も集まってくる。慢性的な赤字も膨らみ、収益性も悪化する状態でした。

そんな中、石田総裁は老朽化の進む連絡船を予算をシッカリつけて最新のものにしたり、硬直化した組織に新風を吹き込むべく、能力があるけれど出世できなかった低学歴の職員を抜擢したり、専売局(現在のJT)などの他の国営企業よりも職員の給与をアップさせるなど奮闘します。

特に、安全面での大幅な予算アップや給与アップなどは国会で検討して貰わないと通らない案件。

通常なら金をもらう側ですから下手に出るところを、この方は「必要なものは必要だ!」と堂々と主張するのがすごく痛快です。

その分、「余計なものには金をかけていられない!」と青函トンネルの計画には反対で、新幹線も東海道や山陽といった主要路線だけを進める、といった施策を取ろうとします。

それをまた、ズケズケと交通委員会なんかで言うもんだから波風は立つ。

だけど石田総裁の「国鉄を独立採算できる組織にすること」ためという信念は全くぶれない。だから国会でも信頼され、様々な施策を通すことに成功するわけです。

結果として、国鉄総裁として6年粉骨砕身しました。報酬は鶴見事故の発生後は1年で洋酒(ブランデー)1本のみ。

富も名誉もいらぬ、世のため人のために自分の仕事をする姿は実にカッコイイ。

久しぶりに読み直しましたが3時間くらいで読了。いやぁ、面白かった!!

 

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