『吉村昭が伝えたかったこと』を読みながら、考えたこと

読書メモ

先日、図書館で本を何冊か借りてきました。

その中の一冊が文春文庫『吉村昭が伝えたかったこと』。

この本の中でも、私が白眉だと思うのは、吉村氏の著書『関東大震災』を中心とする一連の文でした。

特に関東大震災の箇所は考えることがとても多く、メモ代わりに書いておこうと思いました。

1923年9月1日、午前11時58分に発生したマグニチュード7.9の大型地震が東日本大震災です。東京、神奈川を中心に190万人が被災し、10万5千人が死亡ないし行方不明と言われています。

そしてこの地震の特徴は大火。火災が下町をあっという間に飲み込み、8万人近くが焼死という大災害となりました。

関東大震災の火災が凄まじかった、本当の理由

私は、生前祖父にこの地震の経験を聞かされていて、また地震発生時刻がお昼まえという時間もあり、炊事の火が火事の原因だったと長年信じていました。

しかし、吉村昭さんが調べると、別の原因が浮上してきました。

それは工場や研究所に瓶で保管していた薬剤が、地震で棚から落ち、発火した化学火災だったというのです。地震後の報告書でも、これは指摘されていたにもかかわらず、東京都の防災担当者はこの資料の存在すらも知らなかったことに吉村さんは驚いたそうです。

また、火災の時に強風だったこともありますが、被災者が大八車や荷物などで道を塞ぐほど混雑し、それらに火の粉が飛んでさらに火災を拡大させ、消火活動を著しく阻害したそうです。

実は江戸時代にも、江戸はたびたび大火に見舞われています。幕府は火事に際して、大八車や家財を持っての避難を禁止し、時にはその場で逮捕するという強硬手段を取ることもしました。それは、大火にたびたび見舞われた江戸での、消火活動を阻害しないための経験則だったのです。

ところが、明治維新後、江戸時代のこういった防災対策は次第になおざりになり、関東大震災でその弱点を一気に突かれる形で、8万人の焼死者を生み出してしまいました。

では、現在はこの状況はどうなっているのか?

地震発生後車で避難するというケース、日ごろ備蓄した防災袋の携行ということが考えられますが、こういったものが道を塞いだ場合、関東大震災と同様かあるいはそれ以上の大火事の危険があると吉村氏は警鐘を鳴らします。

車はタンクにガソリンを積んでいるので、火にまかれれば爆発炎上しますし、それが渋滞のように数珠つなぎに停車している場合、車から車へと火が移り、周辺は火の海になるだろうと警告しています。

現在、私たちは車の運転中に地震に遭遇した時、速やかに路肩に停止して車のキーを付けたまま避難をするようにと指導を受けます。しかしながら、東日本大震災でも、車で避難している人は多かったように思います。

しかし、将来この手の大地震においては、時として車に乗らないで避難する方が命を拾うことになることもあるということを頭の隅にとどめたいものです。緊急車両の活動を速やかにするために道を塞がない、ということを共通認識として、国民に広く啓発する必要があるでしょう。

物資の買占めによる不足、火事場泥棒

東日本大震災直後の話ですが、被災地から遠く離れた埼玉県でも、インスタント食品やコメなどの買い占めを何度も目にしました。翌日に私がキャベツを買いに業務スーパーを訪れたところ、レジ待ちが長蛇の列をなし、店内をぐるりと一周する姿を見て、買い物を諦めたことを今でも強烈に覚えています。

そしてこれらをやっているのが、普段優しい普通のおばちゃんだったり、近所の人のいいご老人だったりするわけです。私はこれに凄い衝撃を受けました。ちなみにこの本の中で『美談を戒める』という一文を寄稿した石井光太氏も、被災地でこの手の話はうんざりするほど聞いたし、目撃もしたそうです。

関東大震災では被災地で同様の買い占め、売り惜しみ、打ちこわし強盗などが横行したといいます。そしてやはり多かったのが火事場泥棒で、人のものをちょろまかして懐にねじ込むなんてことも起こったそうです。

大災害の時、人は理性のタガが外れ、日常では信じられない行動に出る。それが一層の社会不安へと駆り立てることに、ものすごい恐ろしさを感じました。また、流言飛語が飛び、朝鮮半島の人間が虐殺された事実も決して、目を背けてはいけないでしょう。

SNSの時代になっても、決してそれは変わりません。

東日本大震災の時も、天然ガスのタンクが炎上して有毒ガスが発生したという書き込みを目にしましたし、外国人強盗団が被災地入りしていたという未確認情報が乱れ飛んだことも事実だからです。

遺体処理はいつの時代も課題になる

何千人の死者が出る災害の時、ご遺体の処理も決して目を背けることができない課題です。

東日本大震災の時も、2万人近くの犠牲者が出て、荼毘に付すのも大変な苦労があったと、石井光太氏の『遺体』でも書かれていました。

遺体の処理の問題は、一歩間違えればバイオハザード、伝染病の拡大をもたらしかねない重大な問題です。関東大震災の時は、9月1日という残暑の厳しい時期だっただけに、このことが重くのしかかり、ついに軍隊が出動して処理に当たりましたが、なかなかうまくいかなかったそうです。

地震そのものの備えももちろん大事ですが、こういった二次災害を防ぐ、というのが96年前よりもはるかに巨大化した東京が被災したときに大事になってくるはずです。

吉村昭の『関東大震災』は詳細な記録であり、陰惨な描写が続きます。

それが苦手な方は、『吉村昭が伝えたかったこと』を参照にすればかなり役に立つでしょう。

今後同様の地震が発生するのは日本で生きている私たちは、関東大震災から得る知識は大きいと思いますね。

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