もうすぐ一年…『歌丸 極上人生』を再読

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「兄ちゃん。(落語家を)辞めるなら今日の午後辞めな。やるなら一生やんなさい」

桂歌丸が伊集院光(当時三遊亭楽大)にかけた最初の言葉

もうすぐ、桂歌丸師匠が亡くなって一年になります。

ふと、その事を思い出し、本棚の中からこの一冊を取り出しました。

桂歌丸さんの『歌丸極上人生』です。何年か前に購入して、折に触れて読み返しています。

歌丸師匠は、長寿番組『笑点』の回答者、そして先代の三遊亭圓楽の後を継いで、5代目の司会として長年、活躍したのは皆さまご存知の通りです。

長寿番組の人気者だから、この方の人生が順風満帆なのかというとさにあらず。それどころか、中々山あり谷ありの人生でした。

生い立ちから父母の縁が薄く、父親は歌丸師匠が三歳の時に亡くなり、母親は祖母と折り合いが悪く、再婚して家を出てしまいました。

女郎屋を営んでいた祖母は横浜市真金町で遊郭を営み、「真金町の三大ばばあ」として、当時の反社会勢力の人からも一目も二目も置かれる豪傑でした。

そんな祖母に、悲喜こもごもの人間模様が展開される遊郭で育ったというわけです。

中学生で落語家に

最初の師匠、古今亭今輔師匠の門を叩いたのは歌丸さんが中3の時。古今亭今児の名前を与えられます。

しかし念願かなって落語家になっても、まあ最初は食えない。さらに師匠の今輔と折り合いが悪くなり、ついには破門されてしまいます。22才の生意気盛りだったのでしょうね。

ご本人は「おばあちゃん子でわがまま」だから我慢というものを知らない性格と言ってますけど、あの歌丸師匠もお若い時には結構際どい失敗してたんだな、と感じます。

一時期は別の仕事についたけど、結局前の師匠に詫びを入れて、兄弟子の桂米丸に預けられ、後に桂歌丸と改名します。

…と、まぁ笑点で人気者になる前には中々ハードモードな人生を送られていたのです。

死ぬまで落語家

笑点の司会者を降板された後も、酸素吸入器を鼻につけて高座に上がっていた姿は、皆さまご記憶の事でしょう。

満身創痍の身体で、新ネタを磨き上げ、圓朝ものの怪談話に取り組む姿は求道者そのものです。

管理人も、好きな事を仕事にする幸運に恵まれました。

腕を磨き続ける職人気質に、共感と憧れを感じるのですが…自分はここまで出来るだろうか?と感じます。

…入退院を繰り返しながらまだやる!というのは、並々ならぬ覚悟と苦悩があったでしょう。

ただ、歌丸師匠自身はこれが苦労とか、辛いとグチをこぼしていない。

今がどんなに悲惨でも、先に光が待っていると一生懸命に生きる姿を、語り下ろすようにカッコつけずに書いてあるのが素敵ですね。

芸の世界で花を咲かせた人生の大先輩が、山あり谷ありの日々を振り返って「極上」というんですからね。

改めて素敵な人だったなぁ、と思いました。

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