価値観の変化で大逆転!コシヒカリの物語!!

歴史

昔、とある会社の社長室にお邪魔したら、色んな本がおいてありました。

私、人の本を見るの好きなんですよ。その人がどんな意識を持って、どんなことを考えているのかが、何となくわかる気がするので。

種苗会社の方なので、やはり農業関係の書籍が多い。

背表紙を眺めていたら、社長さんが登場。

あわてて席に着いたら「興味あるの?本、貸してあげるよ」とのお話で、たまたま目に止まった『コシヒカリ物語』(中公新書)を貸していただきました。

スターの苦労話みたいな『コシヒカリ物語』

今、お米といえば『コシヒカリ』と言う位に圧倒的なシェアを持っている状態で、生産量は40年近くもトップに君臨しています。

最近は、オリジナル品種が花盛りですが、元々はコシヒカリと別の品種を交配させたものがほとんど!

日本の米作はコシヒカリ、その子や孫品種で占められていて、さしずめコメ界のゴッドファーザーなのです。

で最初、私は…

イメージしたのが、田口トモロヲのナレーションが似合いそうな、男たちの熱い努力の物語!

コメ離れを嘆いた農業技術者が、「美味しいお米を作って、コメ離れを防ごう」と奮闘した…

もちろんエンディングは中島みゆきの『ヘッドライト・テールライト』ですよ!!

ところが、予想はハズレ!!!!

全く逆でした。

質より量の時代には不遇

もちろん、交配して品種を作るのにはそれなりに手間はかかっているのですが、出来た時にはコシヒカリの旨さに誰も、気付いてない…。

何しろ作られたのが戦中の1944年でお米の評価は『質より量』だった時期。

DASH村ファンなら分かりますが、梅雨時によく起こった稲のイモチ病。お米が実る前に稲を枯らしてしまう、恐ろしい病気です。

戦時中、食料増産を図ることが最優先の時代には、本当に恐ろしい病気でした。

そこで、イモチに強い品種をとの品種研究が行われます。

兄弟たちはゾクゾクと目指す品種が誕生する中、それ程イモチに強い特性が出なかった劣等生、それが越南17号(後のコシヒカリ)でした。

時代がコシヒカリに追いついた!

ところが、運がいいことに

当時、試験の段階での偶然の出来事(本当に手続き不備みたいなくだらない出来事)や、お米の検定システムの隙間を潜り抜け、この越南17号はひっそりと生き続けます。

そして戦後、高度経済成長を遂げてコメ不足は解決。

生産量が消費量を追い越し、むしろ消費量過多で、コメ余りが始まった時代。消費者もパン食も一般化し、お米の味をより求めるようになってきました。

コシヒカリは美味しい、ということでスポットが当たり、魚沼地区でも栽培したらこれがバッチリ!!美味しいお米の代名詞となった『魚沼産コシヒカリ』が誕生したのです。

価値観の逆転で一躍スターダムにのし上がるという、大逆転を成し遂げました。

この本によると、お米に限らず、作物の品種改良は100回に1回、当たりが出れば御の字。

生み出された品種の大半は日の目を見ることなく消えていくもんなのだそうです。

そんな中、予想に反した悪い成績と評価されながら破棄もされず、ずーっと生き延びる偶然が重なった結果、元来備えていた旨さが見直されて大ブレイクしたコシヒカリというのは奇跡の品種と言えるかもしれませんね。

コシヒカリのライバル、ササニシキの今

私が子どものころは、コシヒカリとササニシキというのがおいしいお米の二大横綱でした。

そういえば、最近ササニシキを聞かないなぁ、と気になり調べてみると…。台風などで倒れやすく、イモチや気象の変化に弱いという特徴から、生産量が減ってしまったとのことです。

決定打になったのは1993年のコメ不足。

40代前後なら、コメ不足でタイ米が輸入され、日本米にタイ米を混ぜたお米が流通した時期があったことをご記憶のはず。

長粒米で、粘りの少ないお米を混ぜると、フツーに炊いても美味しくない。ちなみに我が家はこの時期、チャーハンが爆増しました。どうでもいいことですが…。

あの後から、推奨米が例外に強い、『ひとめぼれ』に転作が進んだことで、横綱の地位を追われてしまいました。

しかし、すし酢を加えてもベタベタしないため、お寿司屋さんでは今でもササニシキは大人気で、これを売りにするお寿司屋さんもいるとのことです。宮城では2017年現在でも生産量3位で地味に頑張っている。

東京でかつて全国区で頑張っていた人が、ローカルで元気にやっているみたいな存在感を発揮する「いぶし銀」のような存在で今でも健在です。

 

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