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アメリカ合衆国初代皇帝?「ノートン一世」の面白すぎるエピソード集

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この記事では、アメリカ合衆国の初代皇帝を名乗り、

19世紀に「帝都サンフランシスコ」の名物男となったジョシュア・ノートンのエピソードをご紹介します。

ジョシュア・ノートン

ジョシュア・エイブラハム・ノートン(1812?~1880)

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 米相場で破産して、皇帝としてサンフランシスコに現る!

ノートンはイングランド生まれらしい、ということは分かっているのですが、

細かな話はよくわかっていません。

一説によると、幼少期は南アフリカに住んでいたとかいう話もありますが

大人になって、ビジネスである程度の成功を収めたようです。

ところが、当時の清朝の米輸出規制に端を発して起こった米の暴騰で

一儲けしようと米を買い占めたら、これが大失敗してスッカラカンに。

そん時にどうも精神に異常をきたしたらしく

消息を絶ってしばらくしたら、サンフランシスコに突如あらわれ

「アメリカ合衆国皇帝ノートン一世」として名乗りを上げたのであります。

大統領制の廃止、議会の停止などの内容を訴えましたが、当然連邦政府からはガン無視されてしまいます。

ただ、勅令そのものは地元紙が「面白え!サンフランシスコに皇帝陛下が現れたとよ」というノリで

新聞に掲載したら、これが読者に大好評。

人気になれば、そりゃ続報を希望をされるわけで

以後、この新聞には「本日の勅令」というコーナーが設けられることになりました。

意外にまともすぎる「勅令」の数々

まぁ、新聞側からしたら「珍獣」扱いで載せてたわけなんですが

ノートン一世陛下は、至極大真面目にせっせと「勅令」を書き送ります。

アタオカなのに、言ってることがトンチンカンではなく、結構いいこと言うじゃん!?と

そのギャップがより彼の「支持」を広げることになりました。

例えば、合衆国が分裂し、南北戦争が起こったときは

「大御心」を発せられて、即時停戦を呼びかけ(もちろん、南北両方から無視)

しかし…この勅令がときおり、先見の明を発揮するから面白い。

国際平和のために個々の国家が話し合い、秩序を守る組織の重要性を訴えました(もちろん各国からは…以下同文)が

のちに上記の趣旨は「国際連盟」として現実のものとなりました。

また、サンフランシスコとオークランドの間に橋を架けよ、という勅令は

「崩御」の半世紀ほど後にサンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジとして実現。

さらに「聖なる夜は飾って祝おう」とクリスマスツリーをピカピカにするアイデアなんかも布告。

今の日本なんかキリスト教徒でもないのに、クリスマスイルミネーションに気合を入れる人もいるくらいで、異教徒までもを魅了する陛下の提案は

結構な先見性だと思うんですが、いかがでしょうか。

移民との対立に体を張って場を収める

当時は、中国人労働者が合衆国で低賃金で働いていました。

後の日系人もそうですが、安い賃金で働く外国人労働者は、仕事を奪う存在として嫌われがちで、

サンフランシスコでもやっぱり白人と中国人のいさかいというのが起こったのですが

それを目撃したノートン一世陛下は、両者の真ん中に割って入って静かに祈りをささげたと言います。

これには当事者たちも仰天し、なんか自分たちは恥ずかしいことをしてるんじゃないか、と思ったのか、潮が引くように暴動が治まった、といいます。

…自分で書いてて、この人アタオカなんだよね?なんか聖人みたいじゃねーか、と思ってしまいますが。

鉄道会社から終身パスをもらい、行きつけは「御用達」と大繁盛

このノートン一世陛下が行幸の折には、鉄道会社からもらった「終身無料パス」を持っていて一切無料。

勲章などを付けて、サンフランシスコ市街を

市民の生活に何か困ったことはないか、と視察に向かう勤勉ぶり。

レストランで食事をしても無料。その代わりお店は「合衆国皇帝御用達」の看板を掲げるようになり

コレが評判になって、お店は繁盛したといいます。

皇帝陛下逮捕、の報に抗議殺到。最終的に「市も公認」

そんな皇帝陛下がある日、警察に「アタオカだから治療を受けさせよう」と逮捕します。

これに日ごろから「勅令」を掲載している新聞も、

その勅令に親しんでいる市民も「何してやがる」と猛抗議。

慌てた警察は、まぁ悪いことをしているわけでもないし…と釈放したところ

その後、心の広いこと海空のごとき陛下は「特赦」を出して、警察のことを許します。

以来、警察官も陛下の姿を見かけると、敬礼をするように。

また、サンフランシスコ市も、そんな陛下のお服がちょっとボロボロになると、新しい服を差し上げるようになり、事実上「公認」になっちゃった。

まぁ、何も悪いことしてないからねぇ…

そのうち、このボロボロだけど人品卑しからずな陛下は「もしや、ホンモノのご落胤では」なんぞという噂まで立った、といいます。

崩御の際は葬儀委員会が立ち上がる

そんなノートン一世は、1880年に倒れ、そのまま息を引き取ります。

安宿で生活する孤独な身の上であり、持ち物を調べてみても

金目のものなど何もない。

このままじゃ無名墓地に放り込まれるだけ、というのは

皇帝陛下に対してあまりにも不敬ではないか?と

地元有志が資金を集めて、葬儀は行われました。

当日は資本家から貧民までが葬儀に参列

墓地までの道には3万人が棺を迎え、葬列は2マイルに達したといいます。

このサンフランシスコでのニュース州外でも話題となり

ニューヨークタイムズも

彼は誰も殺さず、誰からも奪わず、誰も追放しなかった。彼と同じ称号を持つ人物で、この点で彼に立ち勝る者は1人もいない

 と追悼記事を掲載したそうです。

死してなお、その名は生きる

と、彼の生涯を駆け足で見ても、なんとも楽しいエピソードばかりですが

最後に…彼の発行した「国債」の話を。

彼はちょっとした「ものいり」の時、国債を発行していました。

それも小遣い銭に毛の生えたような額で、国債を市民も引き受けていたそうです。

中には「陛下がどうやって返済するのか?」と興味津々で買ってた人もいたそうなんですが

償還の前にノートン一世は亡くなってしまい

国債は紙切れに…なるはずでした。

ところが「ノートン一世の国債」は今プレミアがついて

額面をはるかに上回る価値を持ってしまっている、ということです。

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