今回は戦後昭和天皇が行ったご巡幸のエピソードをご紹介します。
昭和天皇は後に「国民の食糧事情が非常に悪かった」と戦争直後を振りかえっています。
そんな天皇が視察するのは、工場、職場、学校…そして「闇市」!
前代未聞の闇市ツアーがどのように実施されたかを河原敏明さんの著書「昭和天皇とっておきの話」をもとにご紹介したいと思います。
まずは「闇市」をザックリ紹介します
戦中、戦後はすべての物資が配給制で統制経済をしいていました。
なぜかというと、これは「モノがとにかくない」から。みんな配給品だけでは腹を満たすどころか、命をつなぐのも難しい。
しかし、戦後はともかくも戦争はおさまり、焼け跡にトタンをかけた通りの掘っ立て小屋で
連合軍の物資や、田舎から買い付けて来た食料、さらには残飯をシチューにしたものなど、とにかくあるモノを売る「闇市」が大繁盛しました。

当時の闇市
「国民がイキイキしているところ」で闇市を思いついた横浜市長
昭和天皇が全国を巡るのは1946(昭和21)年2月。川崎と横浜への日帰りでスタートしました。
当時の横浜市長、半井(なからい)清さんは「焼け跡とか共同住宅とかばかりでは…」とウンウン唸りながら考えて、ふと…
「闇市は活況で、日本中の経済が沈滞している中、一番復興への力強さを感じられる」と突拍子もない事を思いつきました。
で、早速県知事にプランをうち明けたら「いや、警備が…」といって首を縦に振らない。
仕方ないので、半井さんは旧知の宮内庁の侍従に「闇市視察ツアー」を天皇に進言してもらうように手をまわしたそうです。
プランを聞いた昭和天皇は「闇市は新聞で読んでいるが実態が分からない。この機会にぜひ見たい」と超前向きなご返答で、
昭和天皇自ら、ご希望となり、プランは進むことになります。
万が一があっちゃいけないんで、とにかく周到に。
…とはいえ、である。陛下に万が一があったら大変です。
闇市には色んな人間が出入りします。よからぬ輩が陛下の姿を見かけて反感を募らせて襲い掛かられたら困るわけです。
そこで、みんながよく、陛下が見えるようにという名目で道の両面にムシロを敷いて
この人なら大丈夫という人を座らせました。特等席兼「人の壁」で他の人間が不意に飛び出せないようにガードしました。
そして、お車の窓から最徐行して闇市を進む…というアイデアを発案。
ここまでプランを提示されると、県知事も「よし、やろう!」と万全の体制を整えました。
当日…陛下は川崎の肥料工場をご視察のあと、横浜の大通りに広がる闇市を、車でゆっくりと走りました。
見物していた市民も、闇市で立ち働いている人も、自分たちの実情を陛下が心配して見に来た、と言われ、大いに感激。
車中の陛下は闇市の活気に目を見張り、左右を目まぐるしく見ながら
「いつ、闇市ができたのか」
「これらの物資はどのように集まるのか?」
「違反についてはどのように処理しているのか」と矢継ぎ早に質問をしては、答えにうなずいていたそうです。
陛下は皆が、絶望の淵にあえいでいるのではと心配していたのですが
国民がどん底の中でも、打ちひしがれることなく精いっぱい生き抜こうとするバイタリティに深く感銘を受けた様子で
のちに半井市長には侍従を通じて「いろいろ苦労をかけたようだが、闇市というものを実際に見せてもらい、大変よかった」とお礼の言付けを寄せられたそうです。
【参考図書】
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