この記事では、その昔日曜日に放送されていたTBSラジオの昼番組「伊集院光 日曜日の秘密基地」のゲストコーナー
秘密基地VIPルームに登場したコメディアン、ミュージシャンの加藤茶さんの思い出話から飛び出した
「ドリフが変わったかもしれない」裏話をご紹介します。
この回で加トちゃん(とあえて呼びます)は、定番ギャグ誕生秘話やバンドマン時代の思い出などを語っていたわけですが
一番衝撃的だったのは、「荒井(注)さんが辞めると言ったとき、ホントは俺もやめるつもりだったんだよ」という告白でした。
これはインタビューをしていた伊集院さんもビックリ。
私も仰天しましたね。
実は、荒井さんと一緒に辞めようと思った
ドリフターズの志村けんさんの前にいたのは、荒井注さん。
「ディスイズアペン」や、「なんだバカヤロー!?」などという、ふてぶてしいキャラで人気を集めます。1923年生まれで当時、46歳。
これが突然、体力の限界を理由にドリフ脱退を表明して、当時のファンには衝撃が走ったそうです。
ただ、この辺を加トちゃんが話すと、「あの時、荒井さんと一緒に辞めようと思っていたんだ」と告白しました。
当時42歳のリーダー、いかりや長介さんと、31歳のカトちゃんは一回り年齢差。
「笑いが合わない」と悩んでいたそうです。そして、これまでのドリフの笑いにも飽きてきたとも。
そこで、荒井さんと加トちゃんは、示し合わせて「一緒に辞める、と言おう」と決めていた、といいます。
荒井注さん、大暴走。
ところが、ある日加トちゃんが仕事場に来てみたら「みんな集まってくれ…荒井注が辞めるというんだ」と知らされて仰天します。
一緒に言おうって言ったじゃん、と内心注さんのフライングに驚きつつも突っ込んだみたいですが…
この辺りのことを加トちゃんは、
「あの人は思いついたら、よく考えなくてもすぐ行動しちゃう。晩年もカラオケボックスを作って、作った部屋にカラオケの機械が入らなかったり…」と笑ってましたが
思いついたら、即行動…で加トちゃんとの約束をスコーン、と忘れてしまったらしい。
そうすると、みんな「大変だ、ひとり抜ける」となり、とても自分が言い出せる雰囲気じゃなくなった、とは、加トちゃんの弁。
荒井注の後釜は誰か?
それで、急遽荒井注さんの後継者というか、次のメンバーを探すことになったドリフターズ。
まず、いかりやさんが推したのが豊岡豊さんというミュージシャンで、当時44歳。
ちなみに、当時のメンバーの年齢をザっと挙げていくと…
仲本工事さんが33歳、高木ブーさんが41歳、
そして先ほども言ったように
いかりや長介が42歳、加藤茶が31歳となり、いかりやさんからすると、豊岡さんは、年齢的に「笑いが合う」し、長年仕事で関わり合ってるから、気心も知れている…となります。
ただ、ここで異を唱えたのが、加トちゃんで、
「それなら、ドリフの笑いを知っている志村を上げよう」と当時24歳の志村けんさんを推すという構図になり、加トちゃんの主張が通って、志村けんさんが昇格することになりました。
メンバーの年齢で考える「もしも加トちゃんが辞めたドリフは?」
ここからはブログ主の考察になるのですが、先ほどの「長さんとは、笑いが合わない」「笑いに飽きていた」という証言
そして、このエピソードを話した後で「志村が入ってくれて助かった」と語っていた加トちゃんを組み合わせると、加トちゃんはかなり強く推していたんだろう、と予想が付きます。
と、いうのも…
42歳のいかりやさん
41歳のブーさん
33歳の仲本さん
31歳の加トちゃん、と並べると加トちゃんがいちばんの若手になるわけです。
ここに、44歳の豊岡さんが入ると、加トちゃんが最年少であることが変わらず、相変わらず「飽きた」という笑いを続けることになる。
しかし、ここに24歳の志村さんが加わると、ちょうど仲本さんと加藤さんが中堅になり、平均年齢が一気に若返る。
そうすると、相対的にネタに対する発言力は強くなる、と考えられるわけです。
ちなみに、当時の志村さんはかつて組んでいた「マックボンボン」というコンビを解散し、付き人に出戻る形で戻って来た(自分たちでネタを作り、やった経験がある)ことに加え
いかりやさんにも熱心にネタ見せをするなど、笑いにどん欲な存在でした。
【参考記事】
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その中にはいかりやさんには、きっと分かりづらいネタがあるかもしれなかったのですが、
志村さんと年齢の近い加トちゃんからすると「笑いが近い」し、「新しい笑いが出来る」からドリフでの不満が解消できた。
だから、志村さんを積極的に推す。という形で、のちに番組にもなる「加トちゃんけんちゃん」のツートップという形が完成した、
と考えています。
では、もし…加トちゃんが注さんと一緒にドリフをやめていたら、
いかりやさんは、注さんの後釜に豊岡豊さんを招聘して、もう一人を当時付き人だった若手から抜擢、という流れになっていたかなと。
…そうすると、年齢的な分布で発言権の少ない若手の不満が募ったかもしれないし、
40代という、型の固まったメンバーだけで、それまでの笑いのパターンを破れずに、ザ・ドリフターズの寿命は、もっと早く終わっていたんじゃないか?とも考えられるのです。
まぁ、もしも…といっても、この時間線は存在しなかったんですから、なんだって言えるんですけどね。
ただ、私は1978年生まれで、志村さんの入ったドリフがデフォで、その後も土曜8時は「加トちゃんけんちゃん」を引き続き視聴していた世代です。
今更ですが、こういう可能性もあった、という話をみんなと共有したくて、こんな記事を書いてみました。
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