本日、2月23日は今上陛下(今の天皇陛下)の65歳の誕生日。
これまでは、どんな形で書けばいいのかを思案していて、中々難儀していたのですが、
まだ、陛下が皇孫浩宮殿下だった、学習院初等科の頃までのエピソードを集めてみました。
ご誕生は倉庫の中!?
今上陛下は1960(昭和35)年、2月23日にご生誕されました。場所は皇居内の宮内庁病院。
昭和天皇にとっては初めての内孫であり、未来の天皇を運命づけられた人のご誕生です。
それならば、どれだけ医療設備が充実していたか…というと、当時は戦後で、倉庫を仮の病院として使うほど質素なもので、
現在の病院の建物が出来たのは陛下が生まれた4年後の昭和39年のこと。
だから、ご本人も自己紹介に
「私は皇居の、さる倉庫で生まれました。その倉庫はエレベーターが故障しているという、ひどい所でした」と生まれた時の話をネタにしていました。
「弟の部屋」を作った話
陛下が5歳のとき、美智子殿下(上皇后陛下)がふたり目をご懐妊。
「ナルちゃん(陛下のこと)はもうすぐ、お兄ちゃんになるんですよ」と母親から聞かされて、
侍従たちをつかまえて「ぼく、お兄ちゃんになるんだよ」と得意げに語ったといいます。
そして、自分のお気に入りのオモチャを「赤ちゃんにあげるんだ」と語り
大きくなったお腹に耳を近づけて「赤ちゃんの信号、聞こえるかなぁ」とニッコニコ。
予定日が近づいた11月には、宮内庁職員が自分の作品を出展する美術展に「新宮さまのおへや」という作品を出展。
ボール紙や、木といった材料で作ったミニルームには、テレビやタンス、柱時計などが飾られていて
お兄ちゃんが赤ちゃんを迎える準備は万端!
その思いが届いたのか、2週間後に弟宮が誕生。もちろん、この赤ちゃんがのちの皇嗣殿下です。
「初めてのお買い物」が50万部を売るベストセラーに
陛下が7歳の時、社会科の勉強を兼ねて母親と一緒に高島屋デパートで人生初めてのお買い物をした。
この時、陛下はテレビの特撮に夢中で、怪獣大好きな男の子。
何冊も買えないので、吟味に吟味を重ねて購入したのが秋田書店の「怪獣図鑑」。決め手は、収録された怪獣の数の多さでした。
当時同社は大手出版社ではなく、むしろヒット作が出ないことに苦しんでいたので、この手の本を作るのに慣れていなかったものの
新聞報道で「宮様お買い上げ」が話題になって、あの本はどこの出版社だろうか?となりました。
もちろん、出版社も広告で猛アピール。
鉄道弘済会(キオスク)からも大型注文が来て、最終的に50万部を発行するベストセラーとなりました。
妹の家をつくろう!
弟の皇嗣殿下に続き、今度は妹の紀宮清子殿下(後の黒田清子さん)が生まれて
妹サーヤの誕生にわく東宮のご兄弟。
しかし…誰かから「妹は家を出る」と聞いて大ショック。
この話、単に大人になって、誰かのお嫁さんになったら…の話なんだけど、かわいい妹と離れて暮らすなんて、兄弟としては考えられない。
そこで、兄弟二人で相談し、出た結論が
「そうだ、お家のそばに妹の家を作っておけば、家を出なくて済む!」
そんなわけで、色んな材料を集めて東宮御所の庭に「サーヤのお家」を作り
「これで安心!!」と兄弟2人で胸をなでおろした、とか。
新幹線のカレーに舌鼓!
10歳のときに、浜尾実東宮侍従と大阪万博に出かけた陛下。
このとき、テレビで見ていたアニメ「おそ松くん」の登場キャラ、イヤミの「シェー」のポーズを披露しました。
そして…帰りに「新幹線のカレー」を初めて食べた浩宮徳仁殿下(当時)は、その美味しさにビックリ。
あっという間に一杯目を食べ終わって「もう一杯食べたいな、お代わりをください」と浜尾侍従にお願いした。
しかし、浜尾侍従は「今、午後2時○○分です。ご夕飯が入らなくなるからいけません」と言われて
お代わりは未遂に終わった、のだが…
陛下は「…もう一杯、食べたいなぁ、美味しかったなぁ」と再度おねだりした、とのこと。
このエピソード、たまたま同じ車両に乗っていた脚本家の大藪郁子さんのエッセイに紹介されています。
渋すぎるコメントからあだ名は「じい」
学習院初等科時代の話、
ご学友と一緒に盆栽を見せてもらったとき、陛下はしみじみと盆栽を眺め「素晴らしい枝ぶりですね」とご感想を述べられました。
面白がったのが同級生たちで、時代劇に出てくる「じい」のような、堂に入ったコメントが面白い、と
「これからは殿下を『じい』と呼びましょう」と同級生が提案。そりゃいい!となり、あだ名が決まった。
皇族方は、ただでさえ「殿下」とかしゃちほこ張った呼びかたばかりで「あだ名」で呼ばれることは少ないもの。
しかも、将来天皇になれば、敬われることはあっても、あだ名で気安く呼べる人がいなくなる、という「孤独さ」をかみしめる、という独特の寂しさをもっているという。
そんなわけで、陛下はこのあだ名を非常に大事にしていて、後年海外に留学したときも、学友にこのエピソードをお話して
「わたしを『じい』と呼んでください」と、お願いしていたそうです。
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