令和7年改訂の英語教科書、難しすぎて大丈夫?と心配になる

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先日、待ちに待った令和7年の中3英語教科書「SUNSHINE」が手元に来た。

令和3年と令和7年のSUNSHINE

左の令和3年と比べて、一回り大きいA4サイズ。

週末を利用して読んでみたら…目をブン剝くくらいレベルアップしてたんで、ご紹介します。

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4年前よりさらにレベルアップ

中学校の英語の教科書って、4年に一回改訂で見直しが行われるんですが、

4年前は中学で仮定法とかが出始めて

「ああ、難しくなってるな」と思いました。

仮定法っていうと、if のヤツね、と思う方が一定数いて、

それなら前から出てるじゃん?と思う人もいるんですが

中学のifは、それまでは「雨が降ったら、明日は早く家を出よう」みたいな

「条件」の表現で

高校レベルで学んでたのが「もし鳥ならば、君の元に飛んで行けるのに」みたいな

「実際にはありえない」ことを表現するものです。

今回は、扱う単語のレベルも上がってて

しかもやたら分野が広い。

たかが中学レベル、と侮っていると

「ええっ!?これって中学生にはキツくない?」と仰天する単語も散見されます。

特に、今年あたりは昨年の教科書を使ってた児童や生徒が

「去年より難しい」と感じるんじゃないかな。

文法ガン無視に近いから、受験せまったら苦労するかも

一番厳しいと思ったのは、文法が各章1ページ、簡単に書いてあるだけで

例文も少なく、練習問題もないこと。

現場の先生たちはワークを併用するのでしょうが

ワークって書き込んで提出しちゃうから、繰り返して練習する、ってことが難しい。

その代わり、パワーポイントなどの使用を見据えたプレゼンテーションを推して

「コミュニケーション能力」の涵養を目指しているようですが

それってパソコンの練習なんだよな(´・ω・`)

日本人は英語が喋れない、って言うけど

要は大半の人が「必要に迫られない」だけで

必要に迫られると学校で学んだことが後で効いてきたりしたんです。

それが可能だったのって昔やった文法とかを学び直して得たりするんですが

今のカリキュラムだと、それも期待できない。

先生の力量で、確実に差が開くでしょうね。

生徒を待ち受ける「入試」という現実

私が何よりも懸念するのが

文部科学省のお花畑理論でマジメに課題に取り組んでた生徒が

入試で「バカを見る」ことが起こらないかどうか。

埼玉では何年か前に学力の地域格差という問題がありました。

それは浦和みたいなレベルの高い所のトップと

その他の地域のトップが比較にならないくらい違う問題でした。

要は、全体のレベルが高いと、授業が進むから

その分だけ理解力の高い生徒にレベルの高い内容を教えられるんですが

そうでない地域だと、出来ない子を評価するために問題のレベルを落とさないといけない。

そうすると優秀な生徒でも、他に合わせたペースで「足踏み」をすることになる。

学年1位、といってもカリキュラムでバンバン進む中でシノギを削る学校と

黙ってても満点が取れる学校だと、レベルに差が出るのは避けられない。

全体的に漏らさず教える義務教育では

必ずついて回る問題ですが、入試ではそんなこと考慮してくれません。

カリキュラムの難易度が上がる分だけ、受験の難易度は上がるのは目に見えています。

入試では、生徒の選抜が目的ですから

優秀なのを選りすぐるためにバンバン文法なんかの知識が必要な入試をするでしょう。

いまだに大半の国民が「英語を学ぶ最大の目的は入試」という現状からは

まったくかけ離れた、お粗末さ

と言わざるを得ません。

今の生徒の自衛策は「塾」か「英検」

じゃ、もし私が子どもがいたら、どうやって子どもの芽を守るか。

本人のやる気次第だから難しいけど、もしやる気があるなら塾に通わせます。

実は最近の塾は、進学指導に熱心なんで

入試傾向にかなり通暁してるし、場合によっては業者テスト(模試)なんかも積極的に受けさせますから。

あるいは「英検」。

英検って文法とかカッチリ学べるから、授業の弱点を補える可能性があります。

最低級の5級から、ムリなくステップアップできますしね。

今の英語教育は、ゴール不在

それじゃ、昔の英語教育そのものじゃん!?

その通りです。

実は私、文部科学省がカチカチの頭で

「コミュニケーション能力のお化け」に怯えて

出来もしない事を主導して

トンチンカンな事をしている、としか思えないんで。

そもそも、学校て授業を受けてる時間だけで

英語を話すなんて「絶対にムリ」です。

必ず、自分の頭に英語を叩き込む過程が必要で

それは何百年先でも変わりません。

ましてこの数十年だと尚更です。

さらに「義務教育」で英語のレベルを上げるのにも疑問を感じます。

必要なものを取捨選択しなきゃいけない、みんなに等しく生きる知識を叩き込むんだから

国語、数学、社会、理科より

「使う頻度が落ちて、結果中々身につかない」英語は必要以上にハードルを吊り上げてしまうなんて、もってのほか。

将来英語が必要になった時に勉強しようかな、と思う程度に抑えてもいいし

そん時に多少は役にたつ文法にキッチリリソースを割くのは、決してムダではないと思います。

要は…「英語ペラペラ」に憧れてるが

それを求めてる、求めてないに関わらず

生徒に一律で文科省の「英会話矯正ギプス」をはめて

星飛雄馬みたいに燃え尽きる、なんて

絵に描いたような「失敗」を増やしたくないんです。

あてのない「英語ペラペラ」より「行きたい高校に行く」方がずっとマジメで切実だから。

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