「耐え難きを耐え」しか知らない人のための玉音放送講座

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明日は8月15日。

75年前のこの日、日本中に天皇陛下の声が静かに、厳かに流れました。

毎年8月15日には決まって流れる玉音放送ですが、「耐え難きを、耐え、忍び難きを、忍び」の部分しか知らない人もいると思います。

でも、実はこの玉音放送、本当に昭和天皇が本当に言いたいことは、実はこの有名な部分ではない、ということをご存知でしょうか?

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先に現代語訳を読んでみよう

ただ、原文は文語体で、

かなり現代人には読みづらいとおもうので、先に現代訳を入れたいと思います。

『私は、深く世界の情勢と日本の現状について考え、非常の措置によって今の局面を収拾しようと思い、ここに忠義で善良なあなた方国民に伝える。

私は、日本国政府に、アメリカ・イギリス・中国・ソ連の4国に対して、それらの国の共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させた。

そもそも、日本国民の平穏無事を確保し、すべての国々の繁栄の喜びを分かち合うことは、歴代天皇が大切にしてきた教えであり、私が常々心中強く抱き続けているものである。

先にアメリカ・イギリスの2国に宣戦したのも、まさに日本の自立と東アジア諸国の安定とを心から願ってのことであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとより私の本意ではない。

しかしながら、交戦状態もすでに4年を経過し、我が陸海将兵の勇敢な戦い、我が全官僚たちの懸命な働き、我が1億国民の身を捧げての尽力も、それぞれ最善を尽くしてくれたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転せず、世界の情勢もまた我が国に有利とは言えない。

それどころか、敵国は新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使い、むやみに罪のない人々を殺傷し、その悲惨な被害が及ぶ範囲はまったく計り知れないまでに至っている。

それなのになお戦争を継続すれば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、さらには人類の文明をも破滅させるに違いない。

そのようなことになれば、私はいかなる手段で我が子とも言える国民を守り、歴代天皇の御霊(みたま)にわびることができようか。

これこそが私が日本政府に共同宣言を受諾させるに至った理由である。

私は日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対して、遺憾の意を表さざるを得ない。

日本国民であって戦場で没し、職責のために亡くなり、戦災で命を失った人々とその遺族に思いをはせれば、我が身が引き裂かれる思いである。

さらに、戦傷を負い、戦禍をこうむり、職業や財産を失った人々の生活の再建については、私は深く心を痛めている。

考えてみれば、今後日本の受けるであろう苦難は、言うまでもなく並大抵のものではない。

あなた方国民の本当の気持ちも私はよく分かっている。

しかし、私は時の巡り合わせに従い、堪え難くまた忍び難い思いをこらえ、永遠に続く未来のために平和な世を切り開こうと思う。

私は、ここにこうして、この国のかたち(国体)を維持することができ、忠義で善良なあなた方国民の真心を信頼し、常にあなた方国民と共にある。

感情の高ぶりから節度なく争いごとを繰り返したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに世情を混乱させ、そのために人としての道を踏み誤り、世界中から 信用を失ったりするような事態は、私が最も強く戒めるところである。

まさに国を挙げて一家として団結し、子孫に受け継ぎ、日本の不滅を固く信じ、任務は重く道のりは遠いと自覚し、総力を将来の建設のために傾け、踏むべき人の道を外れず、揺るぎない志をしっかりと持って、必ず国のあるべき姿の真価を広く示し、進展する世界の動静には遅れまいとする覚悟を決めなければならない。

あなた方国民は、これら私の意をよく理解して行動してほしい』

一応、背景を解説します。

実は、天皇の肉声がラジオに乗る、というのは前代未聞の出来事でした。

写真は昭和21年5月のものです

というのも「ラジオで放送したら、どんな姿勢で聞いているか分からないから」

もちろん行事で天皇がお言葉を述べることはあり、その行事がラジオ放送されることはありましたが、その場合「お言葉」は完全カットされていました。

それほど、「玉音をラジオで流すことはおそれおおい」ことだったということです。

しかしこの時の日本は戦争継続を主張する人間もまだ多く、

終戦への決意を政府が固めても納得いかないと武装蜂起する勢力が少なからず存在していました。

【参考】

オリジナル版『日本のいちばん長い日』がすごすぎる
Twitterの知り合いから「面白いよ!!」とお勧めされて今日、1967年版の『日本のいちばん長い日』を視聴しました。見るのにものすごい緊張を強いる、緊迫感が続くシーンの連続でしたが、すごく面白かったです。

さらに直前の8月9日にはソ連が日ソ不可侵条約を一方的に破棄し、日本に宣戦布告していて、満州から侵攻を開始しています。さらに樺太や千島列島にも手を伸ばし、北海道の占領をもくろんでいました。

図は産経新聞ホームページより

もし舵取りを間違えると最悪、日本は世界を敵に回しつつ、国内は戦争継続派との内戦、さらには日本がバラバラに分割されかねない状態でした。

今すぐ戦争状態を停止し、現状を保全する必要があったわけです。

しかし、こういった路線変更は大変なエネルギーが必要です。それまでの本土決戦論からの180度の方向転換には「昭和天皇自らが国民に呼びかける」という前代未聞の手段が必要だったのです。

ところで内容についてですが、現代語訳を読めば、この詔書のどこに力点が置かれているか、一目瞭然でしょう。

よく引用される「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」というフレーズは、実は枝葉末節な部分で

「日本人の総力を戦争で荒廃した日本復興に傾けよ」という天皇のメッセージこそ、昭和天皇の本当に言いたいことだったと私は思います。

玉音放送原文

『朕(チン)深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑(カンガ)ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲(ココ)ニ忠良ナル爾(ナンジ)臣民ニ告ク

朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

抑々(ソモソモ)帝国臣民ノ康寧(コウネイ)ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕(トモ)ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々(ケンケン)措カサル所

曩(サ キ)ニ米英二国ニ宣戦セル所以(ユエン)モ亦(マタ)実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固(モト)ヨリ朕カ志ニアラス

然ルニ交戦巳(スデ)ニ四歳(シサイ)ヲ閲(ケミ)シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々(オノオノ)最善ヲ尽セル ニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦(マタ)我ニ利アラス

加之(シカノミナラズ)敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻(シキリ)ニ無辜(ムコ)ヲ殺傷 シ惨害ノ及フ所真(シン)ニ測ルヘカラサルニ至ル

而(シカ)モ尚交戦ヲ継続セムカ終(ツイ)ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延(ヒイ)テ人類ノ文明 ヲモ破却スヘシ

斯(カク)ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子(セキシ)ヲ保(ホ)シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ

朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス

帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ悲命ニ斃(タオ)レタル者及其 ノ遺族ニ想(オモイ)ヲ致セハ五内(ゴナイ)為ニ裂ク

且(カツ)戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙(コウム)リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念(シンネ ン)スル所ナリ

惟(オモ)フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス

爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル

然レトモ朕ハ時運ノ趨(オモム)ク所堪ヘ難キヲ堪 ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス

朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚(シンイ)シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ

若シ夫レ情(ジョウ)ノ激スル所濫(ミダリ)ニ事端(ジタン)ヲ滋(シゲ)クシ或ハ同胞排擠(ハイサイ)互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道(ダイドウ)ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム

宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確(カタ)ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏(カタ)クシ誓(チカッ)テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ 進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ

爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ』

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