ストライキ、っていう言葉が日本であんまり聞かれなくなって久しい。
私が最後に聞いたのは、多分20年以上前の2004(平成16)年のNPBのストライキかなぁ。
それくらい、労働争議ってのが、縁が遠いものになっている。
しかし、歴史を紐解いていくと私の生まれたころなんかもストライキは少ないながらあったようだ。
で、世界史レベルだとあっちこっちで起こってる。
そんな中で、最古のストライキは?となると、これが近代ではなくって、紀元前12世紀のエジプト。
パピルスに書き残されているっていうのだから、驚きだ。
最古のストライキが起きた時代は、不安定な動乱期
紀元前12世紀ごろの地中海世界では、「海の民」という集団(特定の民族ではなく、どうも複数の民族が徒党を組んだ大集団)が
周辺の国々になだれ込んで、ミタンニ王国やヒッタイト王国などを次々と崩壊させた時代でもある。
だいたい、こういうワチャワチャしていたころって、食料不足が原因のことが多い。
喰い詰めた連中が徒党をなし、残り少ない食料を奪い取って何とか生き残ろうとする。
実際ストライキの記録と前後して、古代エジプトでも日照条件がかなり悪くなっていたようで作物も不作だった。
海の民はエジプトにも侵入し、中々にきな臭い時代でもあったようだ。
そんな中、ファラオにとって来世の復活の舞台である墓所の造営は、一生をかけた長期プロジェクトで、腕っこきの職人を集めて、絢爛豪華なものをこしらえるのは皆さまご存じのとおり。
当然待遇もそれなりにいいはず。しかし、そんな彼らがストライキを起こしたわけだ。
古代エジプトのストライキ顛末記
ストが発生したのは、古代エジプト第20王朝のラムセス3世の時代。
治世29年に、王家の谷の造営にあたった人々がすむ村、デル・エル=メディーナの職人たちが突然、道具と職場を放棄して
飯をよこせ、と座り込みを開始した。
毎月18日が、食料の支給日だが、この時は翌10日になっても支給日が来ない。
おそらく、支給日以降はあの手この手で食いつなぎながら、仕事だけは続けていたのだろう。
ついにブチ切れて「我々は飢えている」と声をあげ始めた。
大体こういう時に「お前が悪い」と言われるのは、現場責任者やその周りの人。
作業を放棄してトトメス3世の葬祭殿で座り込んだ職人たちに、なだめすかしてやめさせようとしたのは
役人や、職人を統括する親方、書記と言った人々。
「座り込みをやめて家に帰れ」「ふざけんな、お前らが帰れ!」と激しいやり取りがあり
「我々にはファラオがついている」と叫び、遅れた支給を早くよこせ、と迫った。
面白いのは支給が滞った怒りが、現場責任者に向けられていて、ファラオはその対象になっていないところ。
この辺は、私の皇族方への目の向け方にちょっと、似ている。
お墓を造るくらいだから人間なのは理解しているだろうが
やがては神になられるお方なら、この窮地を救ってくださる、と思っている。
とにもかくにも、ストライキが収拾できないとなり、その日は決着とならなかった。
翌11日も当然、昼間の座り込みが同じ場所で行われ、それでも事態が動かないから
翌12日にはスト側は「史上最強のファラオ」ラムセス2世の葬祭殿に場所を移して座り込んだ。
史上最強であるから、当然葬祭殿もデラックス。
そこでの座り込みである。宣伝効果はバツグンだ。
座り込みの現場には警察署長や門番たちが説得に努めるも
「我々には魚もない、野菜もない、ミルクもない」とストライキ側のボルテージは上がる一方。
悪いのは払うものを払わない側だが、国は食糧難で、すぐ用意できない。
そうしたら、なんとかなだめるしかないわけで…「こりゃ、テーベ市長にご出座を願うしかないんじゃないか…」と頭を抱えた。
とはいえ、彼らだって困ってるからストに訴えてるわけで、交渉をしながら遅配した分の調達を巻きでやって、
…その日やっと、先月の支給分が行われた。
「やれやれ…」と思ったものの、労働者にとっては支給日は18日なんだから、今月はあと7日もない。
今月の分が遅れたら何の意味もないわけで「これは先月の分。今月遅れるようなことはするなよ」と
「今月もキッチリ払いやがれデモ」が17日まで続くことに。
工事の遅れは現場責任者の責任となり、ひいてはファラオの面目丸つぶれとなりかねないので、ガチギレした職人の怒りはとても抑えきれたものではない。
そんなわけで、この月の支給は17日に行われ、
食料を勝ち取った職人たちは「ファラオ万歳」を叫んで怒りの矛を収めて、ストは終息したのであった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。ブログ主のモチベーションになりますんで、この記事が面白かったらTwitterリツイートやシェアボタンで拡散、よろしくお願いいたします。
コメント