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高度経済成長をブーストさせた、池田勇人総理大臣のエピソードが面白すぎる!!

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この記事では、日本史の教科書にも出てくる池田勇人総理大臣の

面白すぎる素顔のエピソードをご紹介します。

 

こんな面白い人、なかなかいない。こういう人だから色んな人を味方につけて大仕事を成し遂げたんだと、ふと思ってしまいます。

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生まれは酒蔵のお坊ちゃん

池田さんは酒蔵の息子として生まれ、お坊っちゃんとして育ちます。

子どもの頃は結構ヤンチャで、それでいて「本気を出すとメチャクチャ優秀」。

つまり、本気を出してない時は…

…まぁ、それはさておき、京都大学に進む前から酒やタバコを嗜み、中々豪快な毎日だったのですが

ある時「居酒屋やったら儲かる。儲かったらもっと飲める」というナイスアイデアが浮かび

屋台を手に入れて居酒屋「池田屋」を開業します。

…ところがこの店にくるのは、池田さんの悪友ばかりで

みんな金欠だから「ツケ」で飲んでいく。

池田さんも「いいよいいよ」とゆるしていたら

売り物だけが減り、売り上げがなくなって

「ダメだ、やめた!」と廃業しちゃった。

後年「所得倍増計画」で日本をブーストすることになる池田さん、

「自分の飲み代倍増計画」はあっけなくボツになった。

足りない酒を不満なく配るには?

池田さんは、大蔵省に入って、途中難病で退職を余儀なくされたりしながらも病気を克服して大蔵省に返り咲き

持ち前の能力で徐々に頭角を現していった。

太平洋戦争中の話。当時お酒は嗜好品であり、末期には酒場なんかは店じまいを余儀なくされた。

とはいえ、酒の生産は続いており、半分は国民に回すことになっていた。

ただ、お酒って飲む人と飲まない人の差がある。

ブログ主は毎日だって飲みたいタイプだし、そうでなきゃずーっと飲まなくたっていい、なんて人もいる。

ここに、不満なく酒を配給するには?という難問に立ち向かったのが

大平正芳さん、後の総理大臣なんだけど

彼、酒を飲まないから、どうしたらいいかよく分からない。

そこで「酒飲みの事情は酒飲みに」とばかりに

兄貴分だった池田勇人さんに相談したら

「お上公認の酒場を作って、一杯だけ飲ませれば」と名案を出した。

お金を払うと、ビール瓶一本ないし、日本酒一合だけ飲める、というのは

飲まずにずーっと我慢しろ!よりかは、遥かにマシ。

場所が限られていても飛んでくる。

また、お上公認にすることで、飲食店も許可を取れれば生業を継続できる。

そんなわけで「国民酒場」または「市民酒場」という公認の店は飲んだくれから大歓迎された。

国会でボケ発言。さらに追い打ち!

政治の世界に転身した池田さんは、持ち前の能力を吉田茂総理大臣に見込まれて大抜擢。

しかし、正直というか、話を端折ってしまって誤解を受けやすいというか…

言葉尻をつかまえられて、失言と非難されることもあった。「貧乏人は麦を食え」なんかはまさにそれで

「みんな身の丈にあったものを食べよう」と言いたかったのに、揚げ足を取られてしまう。

とはいえ、そういう殺伐としたことではなく、ボケ発言をかましてしまうこともあった。

とある演説の最中で「能ある鷹は爪を隠す」と言おうとしたら、「能あるネコはヘソを隠す」と喋ってしまい

議場からクスクスと忍び笑いが広がった。

これに真っすぐな池田さんはムッとして「日本の将来のことを話しているのです。真面目に聞いていただきたい」と強い口調で叫んだら

「ボケにボケを重ねる」結果となり、議場は大爆笑。

数字にバツグンに強い池田さんだが、そういう間の抜けたところもあって、結構みんなから「今度は何言うんだろうね」とニヤニヤされていたらしい。

記者に経済講義を夜中まで…

日本の独立や、戦後復興のかじ取りなどで存在感を増した池田さんは

政策集団「宏池会」を立ち上げ、派閥のドンとなった。

当然、政治記者は夜に池田邸に押し寄せる。

記者のために酒やツマミのおかれた部屋が開かれて、記者たちが仕事ついでにつまんでいると

ひと仕事おわった池田さんが一升瓶を抱えてやって来る。

「来たな!低能どもめ」と悪態をつきつつ、またぐらに一升瓶を据えて実家の二級酒を茶碗でのみながら、記者たちに

「日本の現状はこう、将来像はこうなる。そのために必要な政策がこれで、今ここを詰めているんだ」と正確に話して聞かせた。

当時は日本の自動車メーカーはまだまだ発展途上だったが、池田さんは「必ずGM、フォードと五分の戦いができるようになる」と熱く訴え

「それが分かるためにはコレだ!」と新聞の株式欄をバン、と叩いて

「政治家の尻ばっかり追いかけないで、経済を勉強しろ!」と説教した。

当時東京タイムズの記者だった早坂茂三さんは、物わかりの悪い記者を相手に夜中まで顔を真っ赤にして説教する池田さんを見て

「この人、一生懸命に俺たちに教えてくれてるんだな」と熱いものを感じたとのこと。

この早坂さんにしたって共産党で火炎瓶を投げたことのある経歴の持ち主だが、池田さんの話通りに世の中が変わっていったのを見て、

池田さんの話は正しい、私が間違っていたと悟ったそうだ。

子分に「うまく行っても黙ってろ」と釘をさされる

かくのごとく、池田さんは正直で、言いたい時には黙っておれない。そして不用意に口に出して失敗、なんてことが結構ある。

そういう親分を持つと、どーも子分の方が大人になってしまい「ほっておけない」という思いが芽生えるようだ。

池田さんが総理大臣になった後の話。

ケネディ大統領と談判するためにアメリカに行ったときは、日本の悲願、沖縄返還を申し出た。

「今すぐにはムリだが、ちょっと待ってて」とにおわせたので、さらにもうひと頑張りで「祝日に日の丸の旗を掲揚することを認めてくれ」とねじ込み

なんとか、OKをもらえた。

…これって要するに「沖縄はアメリカ領なのか、日本領なのか」という選択があったら

日本だ、とアメリカも認めてるってことで、いずれアメリカは日本に沖縄を返すということを暗に示していることになる。

大きな前進に大喜びだった池田総理、日本にいる大平正芳官房長官にウッキウキで電話した。

しかし、大平官房長官は「調子に乗ると、口をすべらせる」親分のことを考えて

秘書の伊藤昌哉さんと相談し、帰国した時調子に乗るなと「べからず集」を突き付けた。

子分や秘書から「余計なことを言わないでください」と止められて

大金星を取った気持ちはどっかに行っちゃって、池田総理は飛行機のタラップを仏頂面でおりてきた(´・ω・`)。

【参考図書】

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