先日髙橋安幸さんの『根本陸夫伝』を再読しました。
この本は以前このブログでも紹介していますが、今回は『読書感想文』的なものを書いてみたい…と思っています。
読書感想文は、あらすじを追うのではなく、読んだことを自分の方にちょっと引き寄せて、自分が体験したりしたことと比較したりしながら、より自分なりの解釈をしていくものなのかな、と考えています。
そのつもりで書いていくので、お付き合いいただければ幸いです。
「大人になる」とはなんだろう?〜根本陸夫伝が問いかけるもの〜
何回めか、髙橋安幸の『根本陸夫伝』を読んだ。
プロ野球の人間だとは知っていたが、彼を詳しく知ったのは本書を通してだった。
彼が手がけたチームは後年黄金時代を築いた。70年代後半の広島東洋カープ、80年代にいやらしいほどの強さを発揮した西武ライオンズ、王貞治監督のもとでリーグ優勝を成し遂げた福岡ダイエーホークス(現ソフトバンクホークス)。
この3チームの下地作りは、この人が絡んでいる、と。ルールの抜け穴を活用して人を集め、自分は下ごしらえだけして勝てる監督に引き渡し、大輪の花を咲かせる…
典型的な「育てる監督」である。
だが、育てたのはチームだけではない。彼が育てたのはチームを構成する選手たちだった。そして、彼らの話を聞くにつけ、とりわけ突き刺さるのは「大人になれ」の一言だった。
大人になる、とはどういう事なのだろう?この本を読んでいくうちに…
何より大事なのは人間関係の窮屈さをそのまま受け入れ、そこで結果を出すことだ、と感じた。
特にこれを強く感じたのは、石毛宏典さんのインタビューだった。
石毛さんは、80年代の西武ライオンズ黄金時代の中心選手であり、チームをまとめるリーダーとして活躍した。実績は申し分ない。
しかし、根本さんの目には一番危なっかしさを感じていたようだ。
私自身も石毛さんのインタビューを読み通してみて感じたのは、能力があり、自分の信念に対するこだわりが強い。そして信念を持って自己を貫くあまり周りの反発や視線に極めて鈍感な部分を持っていたのではないかと思う。
一言で言えば、彼は「空気を読まない」。
そのことを根本さんはかなり気にかけていたようで、ライオンズ時代の彼に、サラリーマンで働いてる友達に会い、社会の空気感覚から乖離しないように気をつけろと声をかけていた。日本の「チームリーダー」第一号という肩書にとまどう彼に、評価は相手がするもので、そういう評価はありがたいものなんだ、と諭した。
また、根本さんは球団からライオンズの監督オファーを蹴っ飛ばして、ダイエーホークスに移籍した石毛さんに、「自分が試合に出られないからと言って、軽々しく辞めるな。今ベンチで見える景色をよく見ていまの立場でみえるものを勉強しろ」とアドバイスした。
また、現役引退後にアメリカでコーチ修行をする際も球団の肩書を与えたりした。球団の中で動くことを石毛さんに求めたわけだ。
その後就任した2軍監督を解任された後も、NHKの解説者をやれ、講演をこなして飯のタネを確保しろと、彼にタガをはめたり、可能性を伸ばそうと様々な面倒をみた。
面白いのは、NHKの解説者になれ、と言ったところだと思う。NHKはお役所に近い特殊法人だから、石毛さんの性格からしてものすごく窮屈だろう。彼が行きたがったフジテレビの方が自由気ままにやれたかもしれないが、根本さんは断固、NHKに行かせる。そこに私は根本さんの親心を感じるのである。
これまでの石毛さんなら、どこかで「自分の意のままにならないと飛び出す」行動をとりかねない。しかし、それでは成長に限界がある。
大事をなすためには人の協力が欠かせない。妥協できるところは妥協をして、時には相手をいい気持ちにさせてでも自分の狙う方向に落としこむためには、こらえ性が必要だ。
そしてこれは、私の経験則だが…こらえ性は人それぞれだが、それを訓練しだいで伸ばすことは可能だ。
かつて、私は世間で一流と呼ばれる大学を卒業して、いい気になっていた。
メチャクチャに傲慢だった私だったが、社会に出たらフツーの新人で、仕事はできないしミスを重ねては上にどやされる毎日。
だが、仕事をコツコツ重ねることで、独りよがりにならないためにはまず、自分がキレないことが大事だと気づいた。相手を理解するために、自分の器を広げる努力を欠かさず、「相手は何に困っているのか」という考えを常に持ちつづけて相手に対処することで、失敗をしながらも感情的に物事を処理することが少しずつ、減ってきた気がする。
今考えると、この成長は「嫌なこと」に向き合うことでしか養えないと思う。その場でいちいち逃げ出していたら自分を変える必要など発生しないからだ。私は凡人だから、社会から振り落とされないために必死にならざるを得なかった。
しかし、石毛さんは別だ。「野球選手としての実績」は申し分ない。ビジョンを持って、我が道を進む強さもある。しかし、協調の精神を持って窮屈に耐えることを覚えなければ、「昔野球が上手かった、過去の栄光にすがる」人物になってしまうだろう。
彼の器なら更なる高みに登れる、それを阻むであろう独りよがりで感情的な行動を改める、そんな内なる改革を、根本さんは石毛さんに学んで欲しかったのではないか。
根本さん自身、世間の窮屈さを感じながらも、職責を全うしてきた。その上で日本でも稀代のGMとして、結果を出してきた。
根本陸夫さんは生前、石毛さんに限らずどんな人物にも、私心なく誠心誠意相手に尽くしてきた。
彼が信仰するキリスト教でいうなら「神の愛」に近いのかもしれない。
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