PR

父親がガンと診断されて、色々考えたこと

スポンサーリンク

 先日のはなし。両親に頼まれて病院に付き添うことになった。

病院嫌いの父親が母親に誘われて渋々定期検診に行ったところ「肺に怪しい影がある」と指摘され

施設のある病院で精密検査を受けることになり、その結果を聞く時に「来て欲しい」と頼まれたのだ。

弟とも予定を繰り合わせて、その日は会社に有給を取らせてもらい

午前中に検査結果を聞きに行った、というわけだ。

検査結果はガンではあったが、一番小さなステージ1のAで、転移も見られず。

「これは見つけてくれたお医者さんに菓子折りを持って行ったほうがいい」とは診断をしてくれた医師のお話。

早く見つかって運がよかったね、という事でひとまず一家でホッ、と胸を撫で下ろすことになった。

スポンサーリンク

48になっても、親の死を感じると動揺した

私の場合、48にして両親ともに健在。ただ周りを見わたすと

こんなケースは徐々に少なくなってきた。

年賀状のやりとりでもご母堂が亡くなられたので「年賀のやり取りは遠慮する」という知らせを受けることもあるし

今指導を仰いでいる上司は20代で父親を送った話をしてくれ

「そうなるとさ、人の死というものになんとなくドライになってしまう」とホンネを漏らしつつ

「でも、大事にしてあげなね」とのお言葉も頂戴した。

自分は、というと…もうとっくの昔に「親は先に逝くものだ」と覚悟を決めていたはずなのに

検査結果が割と良かった事にホッ、としているあたりまだまだ親ばなれがなっていないようだ。

生まれてそろそろ半世紀にもかかわらず、やはりこの手のことは、想定して備えるだけでは

中々自分の根底にあるマインドは変わらないということかも知れない。

いよいよ「親を支える」番が来た

また、今回もそうだし以前からも薄々感じていたことだが

父親も「バカになった」と思う。

肉体が衰え、外部との交流もなくなったことで刺激も少なくなり

一時はキレッキレに見えた考え方もカビが生えてきたように鈍(なまくら)になった。

最近は暇すぎて考えることがなくなったせいか、

またぞろ学歴コンプレックスを再発し、14年前に辞めた会社で課長になれなかったことを悔やんでいる。

息子の立場から言えば、課長になれなかったからどうした?と思うし

お袋と世帯を構えて、力を合わせて一生懸命に働き

「男の城」である一戸建てを構えて、息子二人を私立大学にやって

家計を破綻させることなく、やる事やってきた事をもっと誇ってくれていいのに、とは思う。

今はただ、戻らない時計の針なんぞを振り返ることなく

せっかく授かった孫娘ふたりの成長を見守って

彼女たちが成人する時、草葉の陰からと言わず

ちゃんとふたつの眼でもって見届けて欲しい、と思っている。

自分の体の衰えもあって、弱気になりがちだし、

ここんとこ自慢の頭脳にも「ボケ」が見られる父親だが

今までは私が心配をかけてきたからこそ、ここからは役割交代して

精神面でのサポートをしっかりする「オトナ」にならなければと心ひそかに決意した次第であります。

Amazon.co.jp

最後まで読んでいただきありがとうございます。ブログ主のモチベーションになりますんで、この記事が面白かったらTwitterリツイートやシェアボタンで拡散、よろしくお願いいたします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました