先日、ラジオ番組で小堺一機さんがすし職人の父親の面白エピソードを聞いたのを思い出して
早速Amazonで本を購入。1988年初版の「小堺の父~南極で流しソーメンをした偉大なる男」です。
残り一冊で2800円くらいしたけど、えいやっ!と購入。
でもこれがメチャクチャ当たりで面白かったんです。
雑誌で募集を見つけて、その日に面接に行く。
小堺一機さんの父親、秀男さんは包丁一本で生きてきた料理人。
南極観測隊が民間人の料理人を初めて募集した時、その第一号として、南極に渡りました。
キッカケはホント、偶然の産物で
勤めていた小料理屋の仕事休み、月曜日に雑誌をめくっていたら「あれ、面接今日だ!」と思った秀男さん。
何事もどんどん先へ進むたちの人らしく、いきなり文部省(当時)に出かけ
もう面接が終わってると聞き、同時に「上野博物館に『極地部』があるからそこに行っては」と言われて、そのまま上野へ。
そこで後に隊長となる村山雅美さんに会い面接や訓練などの選考を経て
なんと秀男さん、合格してしまった(´・ω・`)。
で、ある日の夕飯に、ちょっと近所にタバコ買いに行くようなノリで
「ちょっと南極行ってくる」といい、後に息子の一機さんは「味噌汁吹いたよ!」と思い出を語ってました。
月に一度は「寿司」を!
寿司職人の修行を積んだ秀男さんはカウンターなんかを村山隊長の特別許可で持ち込み
月に一度は「お寿司の日」をやった。
のれんをくぐってカウンターに座れば、握りが出るアレをやったわけ。
魚は、というと冷凍なんで、生の旨さとは比べ物にならない、とのことだが
それでも日本人の好きなものとして今でも上位に君臨するお寿司だから
コレは相当喜ばれたとのこと。
ある時、氷に穴を開けて釣竿を垂らしたらハゼが釣れたから、
海中で生きたまま保管するようにして、寿司にしたら喜ばれた。
最後の方で交代に来る隊の歓迎会に寿司にして振る舞おうとしたら
海の外に晒されてカチンカチンになり、寿司だねに使えない状態に。
それでやむなく「干物」にして食べたこともあったとか。
なお、カウンターや飯切りといった道具一式はそのまま基地に残され、観測隊の備品として今も現役だとか。
「今夜はおかしら付き」
ご飯は美味しく、がモットーの秀男さん。だが、時には食が進まない時もあった。
コレではいかん!と秀男さん、貼り紙をした
「今夜はおかしら付き」
で、夕食に大皿に「こうなご」を一匹、ちょこんと乗っけたモノを出した。
隊員、一瞬あぜん、次の瞬間、大爆笑。
笑って腹筋を使ったせいか、その日のご飯はみな、食欲が出てご飯が進んだ、とか。
とにかく、南極はなーんの娯楽もないので
とにかく「笑う」のが大事!とばかり、秀男さんはイタズラを仕掛けまくる。
氷が溶けて小川になってるところに魚が泳いでると担いでみんなをからかったり
落とし穴を作ったら秀男さん自身がおっこちたり。
コレがいい隊員の娯楽になったという。
氷山を使って流しソーメンをやる!
実は、秀男さんはこれまで紹介したエピソードを残した第9次隊の他に、村山隊長の呼びかけに応じて第15次隊にも参加。
本人は、村山さんの人柄に惚れこんでいて、自分から「行きます」と言ったけど、やっぱり奥さんにお断りを入れようと、小堺家に乗り込んで行って
「ご主人を貸してください」と頭を下げた、というエピソードもあるくらい。
それくらい、明るくて元気いっぱいな面白料理人、秀男さんの存在が隊を明るくしてくれたという気持ちの表れ、と言える。
南極観測隊の恒例行事、「氷山で流しソーメン」は、前回の積み残しで実行する機会がなく、無念の帰国となりました。
のちにアイデアを出した人が第13次隊に参加、初めて実施することになる「氷山の流しソーメン」は、秀男さんも思い入れのある企画。
そこで、氷山の斜面に彫刻刀で溝を掘ってせっせと事前準備を行った
当日、朝から万端の準備をして、さあ始めるとなった時、予想外の事態が。
気温がぐんぐん下がって、すこーしずつ流していると、氷に貼りついてしまい、ソーメンが流れない。
カチカチに凍り付くんで、少しずつ量を増やして流してみたもの、やっぱり途中で引っかかる。
段々面倒になった秀男さん、ついにバケツ一杯のソーメン入りの水を流してみたのだが
これでも、隊員のところまでソーメンが届かない。
仕方がないから、隊員の方が引っ付いた所にまで近寄って、ガリガリと凍ったソーメンを剥がしとり
根性で食べたそう。ちなみに、食べ残しは環境汚染になるので、全部回収した。
そして、このアタオカな企画は、外国人にバカ受け。”Running Noodle” として、外国隊がスパゲッティを流してマネをしたらしい。
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