寒い季節になりました。お風呂が恋しい季節です。首までつかってノンビリすれば一日の疲れは消えていくもんです。
…ところが、昭和天皇についていた侍医のふたりが湯船に浸かると、お湯はみるみるその量を減らし…そんな話をご紹介します。
実は、お風呂が好きじゃなかった昭和天皇
晩年は別なんですが、昔から昭和天皇はお風呂があまり好きではありませんでした。
洋風のバスをおつかいになっても、チョッパヤで風呂を出てくる。烏の行水と呼ばれるタイプ。
風邪をひくと当然、入浴は控えるのですが、もう大丈夫となっても「いや、大事をとって」とお風呂を嫌がる。
香淳皇后と一緒に静養中お風呂に入ったことを珍しがられるほどでした。
これは私の勝手な想像なんですが、明治天皇の時代は半身浴状態で、下半身に触れたお湯は不浄だから、と常に肩から新たな湯をかけて、
入浴が終わると、お付きの人が天皇に浴衣を着せてお湯を吸い取り…なんて「くつろぐ」要素が皆無だったから
あんまり好きじゃなくなったんじゃないか、と。
戦後の全国御巡幸でも、「(全国を激励して巡るのに贅沢は言わない。寝床もどこでもいいし)一週間くらい風呂に入らなくても構わん」と言ったのは、そんな悪条件でも構わぬ、という意味ももちろんあったのですが、
元来、そんなにお風呂がお好きでなかったという事情もあるようです。
怪奇?お風呂のお湯が抜けた??
1950(昭和25)年、3月20日のこと。当時焼け跡から立ち上がる国民を励ますべく、昭和天皇は全国を精力的に回っていました。
この日も朝から井関農機株式会社、東洋レーヨン株式会社伊予郡郡中町奉迎場、八幡浜港、北宇和郡吉田町奉迎場、宇和島市奉迎場を分刻みのスケジュールで回り、地元の人を激励しました。
その日の宿泊先は宇和島で老舗の「つたや温泉旅館」。ここで、昭和天皇はお風呂の入浴を控えられ
ついて来ていた侍従や侍医たちに「私は入らないから、風呂に入るように」と指示された。
順番が来た西野重孝侍医長と、小島憲侍医がいそいそと風呂場に向かい、さぁて一日の汗を流そうと浴槽にザンブと浸かったとき、異常事態が発生。
なんとお風呂のお湯がみるみる減っていく!?「なんだなんだ??」と慌てたふたりは、お湯を止める方法を模索するも、その間に湯船はどんどんその湯量を減らしてしまい
ついに浴槽は空っぽ(´・ω・`)。
「なんで?どうして??」と思っても、それこそ「覆水盆に返らず」。西野侍医長、小島侍医の二人は、あったまり損ねて引き上げることになってしまった(´・ω・`)。
「お風呂に浸かったら、お湯が無くなりました」と2人の報告を受けた昭和天皇は、ふたりのションボリ具合を思い出して、こらえきれず思わず身をプルプル震わせて笑ってたそうな。
なんでこうなった??かというと…
この珍事、実はこんな裏事情があった。
この日投宿した、つたや温泉旅館には県や町の有力者が「天皇陛下の残り湯を頂戴したい」と全員がモーニング姿で順番を待っていた。
むかしは、お上の身に付けたものというのは、それだけで「ありがたいもの」と思われていたから、みんな陛下がお風呂をつかい、記念にお湯を持ち帰るのを、今か今かと待ち構えていたのである。
そのためにわざわざ「お湯をつかった後に、陛下が栓を抜かれたら、残り湯がなくなってしまうから」と旅館の風呂を改造、外からお湯が抜けるようにしてあった。
ところが、当日…陛下はお風呂に入らず、訳の分からないふたり(侍医長と侍医)が真心こめて仕立てた風呂に呑気に入って来て、体を洗いだした
その姿をみた有力者ご一行は「ふざけんな!お前らにくれてやる風呂はねぇ」とブチ切れて、外から湯の栓を抜いてしまった…と、そんな顛末だったらしい(´・ω・`)。
ちなみに、このアクシデント、当事者にお叱りはなく、陛下は「つたや温泉旅館では」「宇和島では…」と思い出しては楽しそうに語っていたということです。
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