先日、当ブログで佐々淳行さんの駆け出し時代の失敗談を紹介したところ、
その元ネタになっている文庫2冊の佐々警部補シリーズには未収録のエピソードがあったことに気がついた。
それは、1950(昭和25)年に発生した「アベック連続殺人事件」で、
同シリーズの新刊では完結編のメインエピソードであるにもかかわらず、文庫版には未収録だった。
気になると調べたくなるのがブログ主の性分であり、早速 Amazon で中古本を取り寄せて読んでみることにした。
ちなみに、事件そのものは管賀江留郎さんの少年犯罪データベースにも載っていて、実際に発生した事件である。
ただ、読んでみると、この話は「何となく『佐々警部補シリーズ』には合わない」と感じてしまった。
その理由は次の3点だった。
理由その1・佐々さんが警察官になる前の話だから
佐々警部補シリーズは、全体の調子として「新米刑事佐々淳行が見た、当時の東京の話」がメインだ。
ところが、このエピソードは佐々さんと事件捜査をしていた伊庭刑事の思い出話として登場する。
1954(昭和29)年入庁の佐々さんは
その事件に当然いないから、第三者の視点になるのはどうしようもない。
そうすると、佐々さんの視点が出ないので「デュッセルドルフの吸血鬼」ペーター・キュルテンと対比してみたりする。
文章は上手いからそれなりに読めてしまうのがスゴイところだが、どうしても、借りて来たエピソード感が否めない。
理由その2・記述が不正確
また、この事件をデータベースと作中の記述と照らし合わせると、事件の内容は同じだが、事件発生日が「1ヶ月ずつずれている」ことが分かった。
これが、3月15日と本で書かれていたものが2月15日、4月9日となっていたものが3月9日…と3件の殺人事件が、「月」の部分だけ1月「前」だったのである。
佐々さんはものすごいメモ魔で、本シリーズでも、その時代の空気感をメモから巧みに引き出して見せる。
その緻密さに当時の実体験を挟み込むので、すごいリアリティが出る。
しかし、このエピソードでは、資料集めを間違えたのか、なんなのか。
2月と3月、3月と4月では、空気感も違うし、一番季節の変化に敏感な時期なのに、
全体にどうも、チグハグさが出てしまっているのも残念なところだ。
理由その3・実際の重大事件にありがちな、読後感の悪さ
このエピソードの犯人は4組のアベックを狙い、1組目はケガを負わせ、のこり3組は女性が殺害された凄惨な事件だった。
昭和25年だから「3人殺したら死刑」といういわゆる永山基準はなかったものの、
常識的に考えて「極刑を免れない重大事件」であった。
しかしながら、裁判では被告の心神喪失が認められ、刑事責任を問われることはなかった。
ここで、著者はペーター・キュルテンが裁判後死刑判決を受け、死刑反対を主張していた当時の司法大臣すらも、死刑執行にサインをしたエピソードを挟んでいる。
せっかく逮捕したのに、精神病院に強制入院で済まされた警察側の無念は分かるし、そういう視点で佐々さんが書くのは当然だろう。
ただ、最初に書いたように、同シリーズは「新人佐々淳行が見た当時の東京」が話のメインである。
それを期待する読者には、あまりに重すぎて戸惑う事の多いエピソードとなったことだろう。
以上3つを書いたのだが、結局のところ佐々さんの著作には「当事者である佐々淳行」の視点がはっきり出るものがほとんど。
また、それが魅力でファンも多い。しかしながらこの事件ではあまりに視点が第三者過ぎて、他のエピソードに比べて、
どうも現場に立ち会った人間のリアリティが感じられないように思う。
本シリーズは雑誌「東京人」の連載が書籍化されたものだが、
もしかしたら本来書く予定のなかった(佐々さんが経験していない)重大事件も行きがかり上執筆することになり
連載から日が浅い新刊書籍の段階では収録したものの
これを文庫化にする際に、毛色が違うこのエピソードを「あえて外す」決断をしたのではないだろうか
そんな風に考えている。
【関連記事】


最後まで読んでいただきありがとうございます。ブログ主のモチベーションになりますんで、この記事が面白かったらTwitterリツイートやシェアボタンで拡散、よろしくお願いいたします。
コメント