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熟成の妙味を堪能する~長谷川晶一「詰むや、詰まざるや」

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久しぶりに通勤時間で本を読むことができるようになって

片っ端から読む毎日が続いています。

昼間は仕事に全力投球して、行きと帰りの電車の中で本を読む。

これが何よりの気分転換になってます。

この前は、こんな本を読み終えて、実に感慨深い気持ちになりました。

長谷川晶一さんの『詰むや詰まざるや』です。

この本、1993年と1994年の2年、全盛期を迎えていた西武ライオンズと、これから全盛期を迎えようとするヤクルトスワローズが

2年連続で対戦、両年ともに最終戦までもつれ込み、双方、七勝七敗となるというがっぷり四つの死闘を演じた「伝説の日本シリーズ」を描いたノンフィクションです。

あの頃は「どうなっちゃうの?コレ」とテレビに釘付けにされたものですが

当時何を考えて、どうしてこんなプレーをしたのか

それを当時の選手や監督、コーチから「今」聞いて再編集した

その証言を改めて読みながら、試合を振り返ると

プレーの一つひとつに意図があり、どっちが転んでもおかしくない、紙一重の戦いであったことが分かります。

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今だから書ける「30年前の死闘」

この本が持つ魅力は、西武とヤクルトの当時の選手、コーチ、監督たちに、30年以上前の戦いを追想させる点です。

人間の記憶は寝かせることで、風化するものもありますが、より鮮明に浮き出るものもある。

試合の映像を見てもらいながら著者は多くの関係者から証言を集めています。

その中には、当時は「語りたくなかった」ことも含まれるのですが、ジックリ寝かせることでその後の成長につながる大事なターニングポイントとなって、

本人の選手人生に重要な出来事として、評価が逆転するシーンもあるわけです。

そんな感じで現役から離れたことで客観的に自分の行動を振りかえったり、その時には見えなかったことが、振り返ることによってハッキリわかるようになる面白さが出てくるからです。

2021年、22年のヤクルト対オリックスの日シリが今書けないわけ

これは、選手が現役時代ではなく、引退してからでないと確定しない部分があるため、当事者が現役であると書きづらい(というか、書けない)と思います。

本の中でも触れられていますが、著者はこの本をものした後に繰り広げられた

2021、22年のヤクルト対オリックスの日本シリーズについて、その熱戦をぜひ、同じように!と

「令和版・詰むや、詰まざるや」の執筆を熱望されていたようですが

あとがきで

悠久の時間によって、物語は醗酵し、やがて熟成する。今はまだ、その時が来るのを待ちたい(362ページ)

と述べているように、まだ歴史に落とし込むところまで、時が満ちていないんです。

あの戦いの当事者は現在進行形で戦い続けていて、まだ幕がおりていない。

本書において味わい深い読後感を与えてくれるのは、時を経て深みを持つようになった、当事者たちの人生も加味されているからです。

現役時代はただひたすらに、目の前の課題を消化し、いかにしてベストパフォーマンスをするか、に集中すべき時で、すべての評価というのは現役が終わって初めて完結するのです。

著者も、仮に30年時間をおくとして、81になる自分に書く気力がないのでは、と静かに結論を付けていますが、

モノを書く人間(天と地ほども違うブロガーですが)には、出会いというものが決定的に存在しているので、著者の思いも「致し方ない」と感じざるを得ません。

20代の私には50に近づいた今の私のような文章は書けないし、その逆もないわけです。

熟成は時間をかけないと、生み出せない。

この本の妙味はまさに「30年、寝かせた」ことによって生み出されたものだと思います。

 

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