この記事では、笹倉明『復権 池永正明35年間の沈黙の真相』を読んで感想を書きます。
私自身は1978年生まれであり、物心ついたころには西武ライオンズ黄金時代を迎えていたので、西鉄ライオンズというと、その前身…くらいの記憶しかありません。
しかしながら、高卒入団5年で99勝を稼ぎ出したスゴイピッチャーにもかかわらず
全容が全く把握できない「黒い霧」事件のあと、
球界追放にあった「悲運のエース」池永正明について、いつかは事件の真相を知りたいものだ、と思ってました。
『黒い霧事件』で池永正明さんはどうなったのか
といっても、この黒い霧事件は現在の我々にはよく分からないと思うので
ザっと説明します。
1969(昭和44)年から1971(昭和46)年に球界を震撼させた「八百長」疑惑および事件です。
当時(もしかしたら今も?)プロ野球の試合結果をネタに賭けるヤミ賭博がありました。
そういった帳場が張られるということは、なんとか自分の有利な方向に試合が動くように選手を買収することを考える人間が現れてもおかしくない。
実際、現場からも
「あいつはおかしい」という人間が調べられ、何人かが、わざとヒットを打たれたり、
エラーをしてチームを負けさせよう、という「敗退行為」を告白します。
主力級の選手にも疑惑の目が向けられ、中でも一番のビッグネームは
西鉄ライオンズの若きエースで、入団5年で99勝を稼いだ池永正明さんでした。
そして、彼は先輩投手から、100万円を受け取った事実は認めたものの
八百長そのものは否定。
しかし「お金を受け取ったこと」が調査委員会の心証を決定的に悪くさせ、
プロ野球界を永久追放されることになってしまいました。
以来、球界を離れて、全く違う仕事で生計を立てつつも、ご本人は度重なる取材に対してもほとんど口を開くことなく、この本が出版されるまで、真相は藪の中だったわけです。
この本を読んで分かった「真相」
私の中で、不思議だったのは
100万円を返さなかった理由と
八百長を否定していたのに、なぜ赦しを乞うような姿勢だったのか?という2点。
何か、あったんだろうなとは思うものの、本人の口が開かなければ分からないことばかり…
たまたま古本屋でこの本を見つけて読んだのですが、
「ああ、そういうことだったのか」と納得しました。
この本の中でTという先輩投手(どうやら自分も八百長に関わりながら自分でもかけてたらしい)に懇願され、世話になった先輩の手前(昔は絶対的なものでしたからね)断りきれなかったということでした。
ところがその試合で池永さんは登板することなく、
他の人が先発してめった打ちに遭い、
結果として「ライオンズの負け」でT先輩は助かった。
ただ、もし池永さんが頼まれた試合に登板したら、どうなっていたか…
投手の本能で、負けられないとスイッチが入るかもしれないし、
世話になった先輩の心中を測ったらこれもまた…
心の中は揺れに揺れてた…というのが真相だったと思う。
その後、池永さんは100万円を返そうとするも、T先輩に拒否され、
「それじゃ、飲んで使おう」とT先輩に言われたものの、使いきれず手元にお金が残った…
というのが、どうも真相らしい。
事件当初から、一貫して八百長はやってない、といいつつ
なぜか、赦しを乞うような、独特の雰囲気があったのは、こういう所に理由があったのだなと腑に落ちた次第です。
じゃ、ちゃんと話しておけば良かったんじゃないか?とも思うのですが、
彼を擁護してくれた球団関係者が一足先に辞任させられたり、色々な形で不運が重なったということも大きかったのかな、と。
人間関係が絡んでくると、モノを言いにくくなるよね…
自分も生きてると、こういった大げさな出来事でなく、
「理屈で割り切れない、曰く言い難い」ことってあるんですよね。
池永さんは能弁に語る人でもないし、余計口が重くなったということもあるんじゃないかな。
もちろんですが、ヤミ賭博行為を仕切って、選手を引きずり込む連中が一番悪い。
もともと、闇社会の方々は、そういう搦め手から攻めるの、上手そうだし。
ただ、人間は事の全体像は中々分からないし、
目の前のいる人間に対して何かしら含む思いを持っていると、ハッキリ説明することをためらわれる気持ちってあると思うんだよなぁ。
池永さんは、自分を知っていて、無実を信じる人の気持ちをありがたいとおもいつつ、
決して自分から中心に行こうとせず、むしろその成り行きを見守り続ける立場に立ち続けたのは、そういうことだったのか、と理解できましたね。
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