昭和天皇ご公認?皇居のお濠で釣りをした侍従長の話

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今回は昭和天皇の許可をもらい、皇居の堀で釣りをした侍従長の話を紹介します。

事前に言っておきますが、これは滅多にない話だからブログに書くのであって、フツー宮内庁管理の場所には目が光っていて、釣り糸を垂れた日には大目玉を食らいます。

私の知り合いにも、仁徳天皇陵のお濠でフィッシングをしたら、即呼び出され厳重注意を受けた人もいらっしゃいます。

だから、決してマネをしないでください。

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自宅を焼け出され、御所で住んでいた侍従たち

東京大空襲に限らず、太平洋戦争中には天皇のおそばに仕える侍従たちも自宅を焼け出されて、仕事場に住み込む毎日を強いられていました。

それは、終戦を迎えた後も相変わらず。

通勤時間がゼロ、なのはいいかもしれませんが、オフの時間においそれと皇居の外に出かけることもできませんから、これも困りものでした。

当時の侍従長は藤田尚徳さん。

彼は海軍の出身で要職を歴任。明治神宮の宮司を経て、1944(昭和19)年から1946(昭和21年)まで侍従長を務めました。マッカーサー元帥との会見にも何度も付き従い、歴史の証人として「侍従長の回想」という本も残しています。

ところで、彼の趣味は釣り。しかし彼も家がないので、御所の中で生活を強いられます。

そんな藤田さんが、なんかの折に陛下にポソっと「最近、釣りしてないんですよねぇ…」と話したら、陛下からとんでもない話を持ちかけられます。

「見えないところなら、堀で釣りしていいよ」

「藤田は釣りが好きならば、見えないところの堀に行って魚を釣っても構わないよ」と昭和天皇は釣りキチ侍従長に許可を出しました。

しかし、釣った魚は元に戻すこと。つまりキャッチ&リリースですね。

それでも、釣り好きの藤田侍従長は大喜び。さっそく手近な材料で釣りの準備を始めました。

まず、釣り針はクリップを加工して作成。糸や竿もなんとか入手。餌は、自分の食事から芋を少し残して、練り餌にして使用しました。

そして、準備完了でお濠に糸を垂れたところ、これが藤田侍従長ご本人もびっくりする結果に。

何しろ、江戸城開闢以来、300年釣りなどしたことのない場所ですから、魚も警戒心が皆無で即席の釣り針でもジャンジャンかかる。

ウナギ、コイ、フナ…釣ってるとバケツにみるみる魚がたまるという「入れ食い状態」。

食糧事情が悪かった当時、誘惑に駆られてもいいようなものですが、そこは明治生まれの藤田侍従長。「陛下のご厚意を裏切ってはよくない」と堀に魚を戻していたといいます。

昭和天皇、釣果を渡すことを特別許可!

ちょうどそのころ、藤田侍従長の同僚で、侍従武官として勤務していた吉橋戒三さんという人がいました。

吉橋さんの夫人は「おめでた」で、大分お腹が大きくなってきたところ。

ただ、夫である吉橋さんが必死になって食料探しに奔走しても、思うような成果が上がらず、藤田侍従長に「芋ばかりでは、中々タンパク質の確保が難しいのです」とこぼします。

しばらく考えた藤田侍従長、このことを昭和天皇に打ち明けました。

昭和天皇は侍従長の話を聞いた後「そうか。フナがよく釣れるそうだから、フナをあげよう」と許可を出します。

そこからは「善は急げ」藤田侍従長が釣り糸を垂れては、フナをバケツ一杯釣り、吉橋さんにプレゼント。

「お上の思し召しだ、ありがたい」と吉橋さんはうれし泣きで自宅に持ち帰り、そのフナをせっせと奥さんに食べさせました。

淡水魚の中でも、フナやコイは栄養価も高く、お産の後の乳の出が良くなると言われるほど。

フナ効果は効果てきめん!昭和20年10月13日、吉橋夫人は無事、かわいい女の子を出産しました。彼女は純子ちゃんと命名され、

お礼の報告をすると、昭和天皇はフッと笑みを浮かべて「良かった」とひと言つぶやいた、とか。

【参考文献】

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