この記事では、ネットでも超有名な上皇陛下(当時皇太子)の「銀ブラ事件」を、
当事者の橋本明さんの証言から再構成して投稿します。
その話はある日突然、殿下から…
1952(昭和27)年、学習院高等科3年の3学期、期末試験の最終日に、橋本明さんは同級生の明仁殿下と学習院の寮に帰ってくると
明仁殿下から「ちょっと私の部屋に来てくれ」と相談を受けます。
昼過ぎに自室に荷物を置いて殿下の部屋に行くと「ここじゃまずいから」と廊下から、非常階段の踊り場へ移動しました。
誰もいないことを確認すると殿下は「外に行きたい」と唐突に橋本さんに言い出しました。
「どこに行きたいの?」と聞くと「銀座に行きたい」と答えます。
「いつ?」と聞くと「今日行きたい」とのこと。
橋本さんと殿下は7歳の頃から机を並べた学友。それならば、とひと肌脱ぐことにするのですが、
ひとりだと、ちょっと心もとないから、と同級生で千家崇彦さんに声をかけ、「オレとおまえ、3人で銀座に行くぞ」と持ち掛けました。
千家さんも、もちろんOK。
東宮侍従には「目白の方へ」と持ち掛けてOKをもらう
さて、その後…東宮侍従の浜尾実さんにも、話を通そうと相談しますが
もちろん、銀座というと即却下は目に見えているので、今宵、殿下を(学習院からほど近い)目白にお連れしたい、と相談します。
後に今上陛下の養育係も努めることになる浜尾さんも、まだ新任で理想に燃えていたころ。
橋本さんは「いつもごくろうさまです。僕たちは友人として一生懸命できるだけのことをしています」と学友アピールして
「閉じこもっているだけでは息がつまるので、たまには外の空気を吸っていただきたく…」というと
浜尾さんも、いいでしょうと了承。
寮の食事が終わって、午後7時ころ、殿下、橋本さん、千家さん、護衛官が念のため、ひとりついて
4人で学習院を出ることになりました。
橋本さんのガールフレンドも参加し、アップルパイと紅茶を楽しむ
予定通り、学習院を首尾よく出たものの、目白どころか山手線の電車に乗り始めた一行。
電車の車窓から、目を輝かせて外を見やる殿下、一方「話が違う、すぐお戻りください」と慌てた護衛官は、とにかくそばについてご身辺に不安がないかを見守ってる感じ。
仕方がないから警察手帳に電話番号を走り書きし、破って「ここに連絡してくれ」と通りがかりの人に頼みます。
やがて、明仁殿下は「渡辺節子さん(橋本さんのガールフレンド)も呼ぼうよ」と言い出し、電話したら渡辺さん「あら、面白い」と即、快諾。
一行は山手線新橋駅を下車。渡辺さんと落ち合う橋本さんを残して、歩いて銀ブラを満喫。
途中、慶応大学の学生から「殿下、こんばんわ」と挨拶をうけて「こんばんわ」と殿下も楽しそう。
その後「花馬車」で橋本さんと渡辺さんを待って、二軒目にいこう、となり…
こんどは「宮内庁御用達」ということでコロンバンに入店。アップルパイと紅茶を満喫し、橋本さん、千家さん、渡辺さんとおしゃべりを楽しんだわけです。
橋本さんが外をみたら、20mくらいごとに警官がズラリ。お勘定(殿下はお金を持ってないので、橋本さん、千家さん、渡辺さんが有り金を出し合った)を済ませて外に出たら
橋本さんは知り合いの警官に会い「やりましたね…」とえらく渋い顔をされた、とか。
殿下行方不明!…オトナはそのころ
浜尾実さんは「目白の方へお連れしたい」と言ったはずなのに帰りが遅い、とヤキモキして
すぐ、これは身辺に何かあったのでは、と全侍従が招集され、警視庁にも連絡が飛び全都配備。
やがて、護衛官からの一報で「殿下は銀座だ」ということで、築地署が急遽警備本部に、殿下のいるあたりは厳重警戒態勢になりました。
当時は、労働争議がどこで火を噴くか、という左翼運動全盛の時代で、もし、警護もつれてない明仁殿下が襲われたら…と警察側はビビりあがったのです。
ただ、当時東宮侍従を務めてた黒木従達さんは、「もう大丈夫だから、警備を厳重にしておけばよし」とお店に踏み込むのをやめにした、といいます。
この黒木侍従はちょっとハッチャケてて、お亡くなりの際もひと悶着を起こした人だから、子どもたちが背伸びをしたがるのを温かく、見守ってあげようか、と思ったのかも知れません。
そんな感じで、大騒ぎになりつつ、学習院の寮に帰ったのが夜の11時。
後日、橋本さん、千家さんが野村行一東宮大夫(東宮侍従の上長)に謝りに行ったところ、
「情においては理解できるけど、理においては下の下だ」とコッテリ、油を搾られた、とさ。
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