自分自身の心が弱くなると、大好きなはずの読書すら進まなくなる。
私自身はホント、しょぼい人間なんだが、40歳を過ぎてくると、子どもの時に元気に活躍していた人たちが、一人去り、二人消え…となると、猛烈な寂しさと無常感に襲われることも珍しくない。
ガックリ…といえば、2020年の野村克也さんの逝去には
本当に驚かされたし、悲しかった。
2017年にサッチーが亡くなった時に、旧ブログ『自分の無知が、身にしみる』に「まさか、この人が亡くなるとは」と書いていた。
と、同時に「嫁に先立たれると、男はすぐ後を追うように亡くなる」という言葉がふと頭に浮かび、ノムさんが一気に虚脱状態になってしまうのでは、と本気で心配した。
嫌な予想は的中するんですよね…
もう、それからのノムさんは見ていられなかった。
ヤクルトのファン感謝祭で打席に立った姿に、「マダマダ元気で後輩を叱って下さいよ」と陰ながら思っていたけど、ね。
読んでて「ラストメッセージ」であると強く感じる内容
本当にたまたま、ネットニュースをチェックしていた時、
ノムさんの生前のインタビューが新書で発売される、と知った。
Amazonでチェックすると、KINDLE版があるというので、早速購入。
ノムさんの本は色々読んでいたけど、モノクロームの後ろ姿なんて本今まで見たことない
だけど、表紙を一目見て「コレは読まなきゃいけない!」と思った。
内容は、亡き妻への思い、自分の来し方を省みて、亡き母親の人生を想い、息子に対する何もできなかった父としての無力さなどが、切々とつづられていた。
夫を戦争で亡くし自身もガンになり身体の無理が利かず、極貧の中、必死で息子2人を育てたノムさんの母親、その姿を思い返しながら「母親の強さ」をしみじみと語る。
また、伴侶であるサッチーに対しても
どんな相手にも一言多い性格が災いして、旦那の監督職を解任させちゃったりするけど、
ネガティブに全振りしたようなノムさんの性格と真反対の超楽観的性格に
ノムさんがどれだけ救われ、頑張れたか…をこれまた率直に語っている。
息子の克則さんに対しても、仕事ばかりで息子に向き合えなかったことを申し訳ないとわびつつ、生き馬の目を抜くようなプロ野球の世界で11年がんばり抜いたことを称え
温かく、今後を見守りたいと言葉を締めくくる。
もう、そこには「すべてが終わった」というノムさんの心が通底していて、虚勢も見栄も全くない。
「枯れはてた」という言葉が一番適切ではないだろうか、と思う。
「枯れはてた」ノムさんの言葉が逆に胸に迫る
でも、この本を読んでいて、
私にはノムさんに対する失望感は全くない。むしろ、己を包み隠さずに素顔をさらけ出すことでいかに84年の生涯を、頑張って生きてきたかが分かる。
それを超えての深い悲しみ、諦めの言葉…
この本には、自身の栄光とする話はほとんど出てくることがない。
現役時代の話は、入団間もないブルペン捕手だった時代の話。
現役最晩年の、自チームの負けをふと願ってしまった己の弱さ。
そういった事のみが書かれている。
元気だったころのノムさんの本に「ぼやくのは現状を何とかしたい」という思いの表れ
とあるが、最後までそういった「自分の弱さ」を意識するというのは
やはり「ノムさんはすごい」と思ってしまう。
生前の著書を読んでいると、野村さんは自身の弱さを自覚しつつ、それを様々な知識や知恵を身にまとい、著作にちりばめることによって己をもっと、強く高いところへと持っていこうという意欲があったと思う。
昔はそんな野村節が好きで、著作を良く読んでいた。
年齢的に現役時代は知らないけれど、評伝を読んだり、記録を調べたり…
監督時代以降は、常にその動静を意識していた。
いつの頃からか、悪く言えば「エピソードの使いまわし」が増えてしまい、何冊読んでも満足感が得られない不満が、読者としての私の中にはあった。
だけど、この本は
84年戦い続けた男の最後の独白として、力の抜けた本音がものすごくストレートに心にしみてくる。
そして、この心境に達するまでに、
どれだけノムさんが必死になって生きてきたか、に思いを致さないといけないかなと。
ノムさんが自分の虚飾を脱ぎ捨て、あるがままを語るこの本を読んで、
私が思い出したのは、風姿花伝の一節。
もう花も失せた50過ぎの能役者は、何もしないというほかに方法はないのだ。それが老人の心得だ。それでも、本当に優れた役者であれば、そこに花が残るもの。
だった。
自分の弱さを認め、まっすぐに見つめること。
私自身が、この本で教えられたのは、そのことだった。
【参考】
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