先日明治天皇の和むエピソード集を書きました。
今回はその第2弾、大正天皇の和むエピソード集を書いていきたいと思います。
実は、個人的にものすごく好きなのが、この大正天皇。
よく友達には冗談で「天皇陛下って立場なら昭和天皇がいいけど、大正天皇はいい友達になれそう」と話しています。
ところが、大正天皇は生前から根も葉もないゴシップが出はじめた初の天皇でもあり、晩年は病気のため執務を取れなったりしたこともあり、いまいち影が薄い。
だけれど、エピソードを見ていると、結構親しみを持てる者が多く、父君とはまた別の意味でいい天皇だったとおもうのです。
奥さまは「九条の黒姫さま」
大正天皇は、生まれつきそんなに体が強くなかったことが、明治天皇の悩みのタネ。
明治天皇がどんなに励もうが、儲けようが、男子は皆夭折してしまい後継者が彼一人だったからです。
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そこで、早めに健康な奥さんを…ということで、皇太子時代に九条節子さんとの結婚が成立します。
のちの貞明皇后です。
この奥さま、九条家という貴族の出身ですが、側室の娘。
色白が美人の条件、と言われた当時に日焼けで真っ黒になりながら自由奔放に育てられ、体の丈夫さは折り紙付き!
近所では「九条の黒姫さま」と呼ばれていました。クラスでは当時の流行歌「オッペケペ節」と歌って、周囲をあぜんとさせたり。
自分たちで恋愛して結婚する時代ではないですが、明るく元気な奥様を持って、皇太子嘉仁もうれしかったんでしょう。
2人の間には4人の子宝に恵まれ、驚くべきは全員男子。そして全員成年まで成長しました。
生母は、奥様と仲良し
大正天皇は、明治天皇と昭憲皇太后の間の子ども…ではなく、お妃女官の柳原愛子との子どもでした。
とはいっても、名目上は天皇と皇后の子どもとなっていて、大正天皇本人もそのことを知った時「え?」とビックリしたんだそうです。
で、この柳原愛子さんは、息子の嫁となった節子さんと大の仲良し。
お世継ぎを産んで、準皇族の扱いを受け、奥でもかなりの影響力を持っていた方ですが、なにしろ元気が取り柄の「黒姫さま」でも、
複雑怪奇な奥のしきたりに右往左往することも多かったそうです。
そんな時に、いつも陰ひなたなく「嫁」をかばっていたのは、この柳原愛子さん。
そんなわけで、2人は実の親子のように交流を深めます。
これは、大正天皇崩御後の話ですが、柳原愛子さんが米寿の時、お祝いにキレイな時代裂を縫い合わせたお布団を手づくりして「お母さん」にプレゼントしたそうです。
皇太子のひょっこりエピソードが面白すぎる!
皇太子時代には、沖縄を除く日本各地を旅行して回り、体の健康を維持していた大正天皇。
こういう時に、好奇心旺盛な宮様は、ひょっこりとお忍びでお出かけになる。
ある日は、そば屋にひょっこり入って、無事食べ終わり店を出ようとしたら袖をつかまれ「お客さん、お代がまだですよ」。
お付きのものが気がついて、そば代を支払って事なきを得た、とか。
また、田舎を歩いてたら、「お腹を空かせててなんかかわいそうだから」と地元の農家さんが芋の煮っ転がしをごちそうしたら「うまい、うまい」と大喜び。
あとで、それが大正天皇だったと知って、死ぬほどビックリしたとか。
自転車に乗って、沼津御用邸を大脱走(笑)
生まれつき、ちょっと体が弱かった大正天皇は、ノビノビと成長させることで健康を保とうと育てられた。
皇太子当時、流行っていた自転車なんかもたしなんで、御用邸の敷地を走り回っていたのだが、
広い所をのんびり走りたい、と御用邸の裏口から侍従武官の目を盗んで、そとにばっと飛び出した。
「東宮さまの姿が見えないぞ!」とお付きの人々が慌てているのをよそに、
沼津の原にある植松家という、皇室にもゆかりのある旧家でお茶を一服したり、大中寺の梅林をめでて、珍しい梅の花に名前を付けたりして
フリーダムなひと時をほんの少し、楽しんでいた。
飼い主に似たのか…大型犬を放したら、うれしさのあまり大暴走
大正天皇は犬好きで、父親の明治天皇が小型犬を可愛がっていた一方
大正天皇は、ポインターやセッター、グレートハウンドなどの大型犬を代々木の御用地(今の明治神宮)で飼っていた。
大型犬だから、適度に運動させる必要があったんだけど、あるとき「犬を放して運動させてやろう」と思い、綱を放すようにお供に命じたところ
「やったー!」とばかりに元気に御用地内を駈け廻り、ついでにぴょーん、と柵を飛び越えた。
あ、行っちゃった…と陛下はお付きの人に探すように命じたら、これが中々みつからない。
どこに行ったのだろう、と途方に暮れていると、犬は入り口で「待ってました!」と尻尾を振って飼い主様をお待ちしていた、という。
拝謁時には「これ、持っていきなよ」とタバコを…
大正天皇はおタバコが好きで、よく葉巻をくゆらせていたという。
原敬と列車に乗った時、「原、一本どうだ?」とタバコを気軽に勧めたエピソードもある。
そして拝謁の時には、煙草入れから菊の御紋が入った紙巻きたばこをムンズとひとつかみして
「持っていきなよ」と直接渡してくれた、とのこと。
どーも「そんな軽々しいことをされないように」とお小言もいっぱい、元勲たちから貰ったらしいが、「みんなにおすそわけ」という気持ちを素直に出す、陛下にみな、恐縮しつついただいていた、とのこと。
また、
飼っていた九官鳥が陛下の声を覚え、新聞ダネになった話
大正天皇に仕えていた坊城俊良さんの証言。
陛下の執務室から「坊城、坊城」とお呼びがかかったので
「御用でしょうか?」と執務室に入ったら「あれ、呼んでないけど?」と大正天皇がキョトン。
変だなぁ…と坊城さんが退いたら、また、「坊城、坊城…」と声が聞こえる。
耳をそばだてていると、大正天皇がかわいがっていた九官鳥が陛下のマネをして「ボウジョー、ボウジョー」と呼んでて、思わず坊城さんもズッコケた…
そんな話が御所の外に漏れて、記者が「面白い」と話をさらに盛って新聞に掲載されてしまった。
「李垠と直接話したい」と朝鮮語を勉強
日本が併合した大韓帝国の皇太子李垠(イ・ウン)。後見役に伊藤博文をつけて然るべく立派な指導者になってほしい、と日本側も力を入れて教育した。
そんな李垠を大正天皇、年の離れた弟のようにかわいがっていました。
兄弟、いなかったからね。
それで「彼の言葉で直接話せたら楽しいだろうな」と朝鮮語を勉強しはじめたとか。
実は言葉のセンスは相当なもの
大正天皇が漢詩が大好き。
生涯読んだ漢詩は1300。
生涯に93000首の短歌を残した明治天皇と比べると、数的は派手さはないものの…
これ、歴代天皇と比べても2位の嵯峨天皇(100くらい)を大きく引き離すブッチギリの1位。
そして、詠みはじめた10代からそのセンスはすごかったらしく専門家曰く「手直しをされたことを勘定に入れても並みのセンスではない」とのこと。
また、短歌は明治(9万首)、昭和(1万首)両陛下に比べてグッと数がすくない(465首)ものの、「心の鋭敏さでは、3人で一番鋭い気がする」と歴史学者の古川隆久さんは指摘しています。
世が世なら親しみやすさを感じる天皇に
大正天皇は何しろ父君が明治天皇で、父君を手本に威厳を求められた時代。
それだから、非常に気苦労が多かったと思います。
ただ、もし現在に生きていたらどんなことにも興味を向けて、気さくに接するその性格からしてメチャクチャ人気者になったかもわかりません。
イギリスのエリザベス女王の父君、ジョージ6世なんかもそうなんですが、当時の君主のイメージには決して向いていなかったから、その寿命を縮めたのかも、と思います。
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