今週の『週刊ベースボール』を即買いした話

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今日の朝は、久しぶりに会社の最寄りまで電車に乗った。

なぜなら、この雑誌を買ったからだ…

急逝の報を受けてからこの方、YouTubeで昔の動画を見たり、我が本棚のノムさん関連の書籍を読み漁っていた。

世の中には「なんとかロス」というものがある。世の中には、肉親やペットを失ってその喪失感に苦しむ人も多い。

だけど、先日の訃報から私の心はどうもおかしい。ふと今日何気なく思ったのは、この心は「ノムさんロス」なんじゃねーかな、と思った。

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やっぱり専門誌!中身が濃い!!

大学生の時に、東京までの道すがらよく読んでいた『週刊ベースボール』(以下週べ)。

あの当時、火曜の午後には東京都内の売店に並び始めていたので、それを買って読むのが習いになっていた。

当時はヤクルトスワローズの全盛時代。

1993年には80年代の絶対王者、西武ライオンズを撃破して日本一になり、若き天才イチローを擁するオリックス・ブルーウェーブも退けて、とにかく強い球団だった。

当時ヤクルトの指揮を取ってたのがノムさん。理路整然と語る野村節にはいつも感心してたし、それこそ毎週どんな話が載ってるかねぇ、とワクワクしていた。

…昔話が続いてしまったが、何しろ週べは創刊昭和21年。専門誌の中では老舗中の老舗。

ノムさんも何度となくインタビューや連載をしていた同誌だから、その膨大なストックと取材に支えられた20ページもの追悼特集はまさに圧巻だった。

元同僚の複雑な思いを垣間見る

扉写真の後にトップバッターとしてコメントを寄せていたのは、南海ホークスで共に黄金時代を築いた広瀬叔功さん。

現役時代には、エースの故杉浦忠さん、正捕手で4番だったノムさんと共に南海ホークスのトップバッターを務め、同時に夜遊びしまくって「南海ホークスの3悪人」と呼ばれた人。

南海時代のノムさんを知る、数少ない同僚の一人が語るのは、それこそ下積み時代からの苦労話。

お金がないから、バットを折らないように黙々と手入れする姿、新人の仕事の風呂掃除をキチンとしても、それでも叱られる不器用な一面が強く印象に残っているようだ。

そして、兼任監督になってから、徐々に二人の立場が離れていき、ノムさんはプライベートの問題から監督を解任され、チームを離れていく。

ノムさんはこれ以降、南海ホークスとの繋がりを完全に絶った。大阪球場跡にあるなんばパークスの展示にも、「野村克也」の名前はない。

これは別の本で読んだのだが、野村克也という選手を追い出した「古巣」南海のメンバーたちも彼とどう付き合えばいいのか、という迷いがあったようで、広瀬さんも引退後後始末をさせられた経験もあって…

ノムやんとは楽しいことも、腹が立つこともいくらでもあった。だけど、今となっては、ノムやんのお陰でエエ人生経験をさせてもらったと思っている。

と、コメントを締めくくっていた。そのなんとも形容しがたい表現に、私は一度拗れた人間関係の、とてつもない難しさを感じ取った。

連載の内容も、ほぼ野村克也一色

同誌のウリは評論家たちの様々な視点からのコラム欄。特集だけでなく、こちらもノムさん一色だった。

岡田彰布氏は二軍監督としてはほとんど接点がなかったと言いつつ、のちのJFKの構想は守りの野球である野村監督の影響を受けたと書いてるし、立浪和義さんも敵として対戦した時の野村監督の戦いを経て、勉強になった、と語っています。

デーブ大久保さんも、引退後すぐにヤクルトに誘われた話を明かし、ことあるごとに引き立ててくれた思い出を語っていました。

今号は「ノムさんロス」に苦しむ人に癒しを与える一冊になっています。ご興味のある方は買って損のないと思いますね。

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