この記事では、侍従長として長年務めた入江相政侍従長の著書から、昭和天皇が初めて自著「那須の植物」を出した時の話を書いていきます。
昭和天皇は以前紹介した通り、生涯で生物のご研究を行っておられました。
研究をしていると、その成果を世の中に問いたくなるのは、当然のこと。
しかし、本の出版となると、その道のプロでも結構な障害の連続で、しかも後述するように、陛下自ら様々な作業をご自身でコツコツと行われました。
そうすると、普段の宮廷での生活とは全然違うカルチャーにショックを受けることはあるものです。
初の一般書出版に気合が入る昭和天皇
1962(昭和37)年に出版された「那須の植物」はそれまで執筆された論文形式ではなく、三省堂が出版元となったれっきとした商業出版です。
それまで、ウミウシやホヤの図譜(説明のためのイラスト入りの分類書)の経験はある昭和天皇ですが、今回はレイアウトや署名入りの序文など、より本としての体裁が必要になってくる点で画期的な本となりました。
それだけに、忙しいご公務の中でも熱心に執筆をつづけられ、おそばに仕えた入江さん曰く
編集会議は度々御前で開かれる、だめはお出しになる、注文はおならべになる、署名入りの序文はお書きになる、それにゲラ刷りを見つめての校正まで。
(入江相政「昭和天皇とともに 入江相政随筆選1」、1997年、P.226)
というから、あと必要なのは印刷の手配と、販売の段取りくらいなもので、あのお忙しい陛下が終戦以来の「御前会議」で編集方針をあれこれ決めていたと考えると、ちょっと面白くもあり、かわいくもあります。
「株株式式会」に目がテン!?
そんなわけで「滅多にない機会だし、ゲラチェックもやってもらおう」ということになりまして
陛下の所に待望の初校が届いたわけです。
ただ、これが本当の初校が届いてしまって、昭和天皇は腰を抜かすことになります。
ゲラ、というのは本の体裁を整える前に紙に刷りだしたものであり、本の形にする前に中身の原稿をキチンとチェックするもの。
当時は今のようにテキストデータをペーストすればとりあえず、文字が化ける程度の間違いになるのですが、何分、昭和30年代の話で、職人が活字を一文字づつ拾っていく時代です。
そういう時は文字の入力はとりあえずスピード勝負であり、それに手を入れて間違いを修正することになるわけですが、
日々「判で押したように」規則正しい生活を繰り返している陛下にとっては、間違いだらけのゲラなんて人生初の体験。
誤字脱字はある、ゲタ(〓)と呼ばれる「とりあえず分からないから入れときました」はある、さらに本のタイトルには文字の大きさのイメージを取るために
「株株式式会」というタイトルが、でーん!
(これは、紛らわしいタイトルを入れちゃうと、そのまま間違って進んじゃうんで「間違っても正しくない文字を入れる」という事情があります)
初めて自分の原稿をチェックする、ということで「なにか自分の文章に不適切なところがないか、どうかを見る」というイメージをお持ちだったであろう陛下はおそらくビックリ仰天されてしまったのでしょう。
侍従を呼んで「これはどういうことであろう?」と当惑した、と言います。
昭和天皇は読書家だから、「完成品」はよくご覧になっていたんですが、さすがに「図1」の図が横倒しに入っていたりして、不安になったんでしょう。
入江さんを呼んで「これで本当に、本になるのか?」と聞いてきたとか。
学者の本領を発揮、実証精神で粘り強く、正確性を重視…しすぎて
で、校正と呼ばれる内容のチェックが始まるわけですが…
この本を出版する前に分厚いノート何冊分もの資料を作成し、そこからカードを作って論点を整理するという入念な作業を続けておられても、やっぱり間違いは出る。
そんなわけで、ゲラは初校、二校、三校…とチェックにチェックを重ねるわけですが、そのたびにチェックを繰り返すので、日が暮れるほどの時間がかかるわけです。
それが、本の体裁を決めた後でも出たりする。那須の植物は行くたびに研究と精査を重ねるので、ほとんど校了(文章の内容を確定させる作業)まで進んだのに、地名が違っていたと分かって
そこから4,50か所の訂正が必要になる、といった按配であったとか。
私もそういう仕事をしているのですが、編集者としては「いい加減にしてくれよ(´・ω・`)」と悲鳴のひとつも出そうなもの。
それでも、印刷直前の鉛版校正は回避できたらしく、1年くらいかけて「那須の植物」はめでたく日の目を見ることになった、といいます。
完成品に早速、書き込みを加える
で、完成ホヤホヤの「那須の植物」を手にした昭和天皇は、「これに書き込みを入れよう」と早速作業を開始して、「普通の作家だって、4,5日はお休みになるのに…」と入江さんを呆れさせます。
何しろ、一週間ほど那須に行くだけで、未登録の植物を20種見つけたこともあるとかで、この本がベースとなって、さらに「那須の植物誌」正続2冊を出版されることになる、というのだから
昭和天皇のバイタリティには、脱帽というほかはないでしょう。
ちなみに、この「那須の植物」。大変話題となって売れに売れ、品薄状態にまでなったといいますが、昭和天皇の興味は出来た本を必要数確保し、配るところまで。
そんなわけで、本の利益は版元の三省堂が儲かるだけで、昭和天皇には一円も印税は入ってこなかったとか。
「印税がチャリンチャリン」はブログ主も憧れる生活ではありますが、そんなことまったく眼中になかった、というのも欲のない、陛下らしいというか、なんというかと
恐れ入った次第でございます。
【参考図書】
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