縄文時代のタイムカプセル、21世紀に現る…デーノタメ遺跡はなんでスゴイのか?

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昨日、やっと時間ができたので北本市役所の1階ホールで開催されている「きたもとの縄文時代」~キミも未来の縄文博士~を見学に行ってきました。

私、5歳から27歳までの22年間、北本市で生活していたんですが、いつの間にか北本が縄文時代の遺跡ですごい事になっているらしい、と聞いて

「そりゃスゲー!ぜひ見に行ってみよう」と思いながら中々機会がなく、今日にいたっていたのです。

グズグズしていたら、今秋にも国指定史跡になるという事で、同市もえらい気合の入り方になっているのにビックリ。

「こりゃ、グズグズしてられん!」と飛んで行った次第です。

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今は郊外(よく言って)、昔は一等地。

北本って、今では自然との共生をアピール(悪く言えば開発されづらい場所)しています。

だけど、市内で道路工事なんかをやると、竪穴式住居あとがよく出る。国道17号と地下を走る圏央道が交差するあたり(コカ・コーラのあるあたり)は、道路拡張工事をしたら、集落のあとが出現したので、当時中学生のブログ主は中学校の帰りに調査の様子を遠くから眺めたりしてました。

ところが、私が子どものころには「デーノタメ遺跡」なんて聞いたことがなかった。

それもそのはずで、この遺跡の本格的な調査が始まったのは2000年に入ってから。私の子どものころには、あの遺跡の周辺は、北本の中でも外れの「雑木林ばっかりの場所」でした。

昭和40年代のデーノタメのあたり。はい、田舎です。

上の写真は私が生まれる前、昭和40年代ですが、私が子どものころ(昭和50年代後半)も「似たり寄ったり」でした。

見るべきものもなく、ただ「通り道」としてチャリンコをこいで通り過ぎる場所に、とんでもないものが眠っていたわけです。

今更聞けなかった「デーノタメ」の語源。

で、他の人にこの遺跡の話をすると、デーノタメとは何?という話に必ずなります。

上の写真の時代くらいは、この辺りにため池がありまして、これが「デーノタメ」と呼ばれていたことに由来します。

じゃ、このデーノタメの語源はというと、おおざっぱに2つあって

①近くに「台原」という地名があって、なまって「デッパラ」、デッパラのため池だから「デッパラノタメ」→デーノタメ

②湧き水のことを「デスイ」「デイ」と呼んでいたので、「デイ」によってできた、ため池で「デイのタメ」→デーノタメ

らしいのです。

住居+水場のセットで、貴重な資料が次々に出る!

で、昭和40年代にちょっと掘って、ああ遺跡があるね、くらいは分かったらしいんだけど本格的に道路工事をする、調整池を造る…となって掘ってみたら、まぁ色々出てくるでてくる。

2000年に第一次調査をしたら縄文時代中期(紀元前5500~4400年)の住居跡7軒が、2005年調査ではさらに15軒(うち一軒は後期、のこりは中期)が、2008年にはため池のあったあたりを掘ったら、縄文時代中・後期の低湿地遺跡が見つかり、となり

ここに1500年間人が大集落を作って住んでいたと分かって、にわかに活気づいたわけです。

この住居跡と低湿地遺跡のセット、というのがデーノタメ遺跡の最大のポイントで

「低湿地だと、いろんなものが保存されてのこる」のです。例えば、木材や、クルミのから、花粉、昆虫の外骨格などです。

他の遺跡だと、住居遺跡がほとんどで、得られる情報も限定的なんですが、台地にある、1500年は利用されてきた集落の水場から、その生活の様子を推察できるものが、ドッカンドッカン出土した、ここがこの遺跡の凄いところだったわけです。

北本市が「縄文時代のタイムカプセル」と鼻息を荒くしてアピールするのも、至極当然なんです。

遺跡からちょっと見えてきた、デーノタメの1500年が濃い!

ちなみに、縄文時代は、1万6500年前~2500年前くらいの1万4千年をさすことが多いのですが、デーノタメは5200年前の「中期」から、3700年前の「後期」に利用されていました。

縄文時代は狩猟採集の時代、とよく言われます。つまり木の実や山野草を集め、イノシシやシカを狩ることで食料を集めた、と古くはされていました。

だけど、デーノタメ遺跡の規模となると、もっと効率的に食料を集めないと成立しないはずです。

そこで、土器を調べると、中期の土器からは大豆や小豆の粒でできた「くぼみ」や、炭化した豆も出土している。

野生種(大豆の場合はツルマメ)と比較しても大きめなので、(縄文時代の中期にすでに)人為的に種をえり分け、手をかけて育てた痕跡があるわけです。

また、水場遺跡の泥炭層からは「大豆を好んで食べる甲虫」ヒメコガネの外骨格も見つかっており、そこからも大豆の栽培が裏付けられそうだ、とのこと。

また、漆の栽培も試みていたようで、土器に漆を塗ったものが、出土しています。

漆って、樹液を取るだけじゃなく、温度や湿度の管理や、道具など、一朝一夕で確立できる技術じゃない。

そんな意味からも、石器を持ってイノシシやシカを追っかけるイメージより、はるかに高い技術を有していたことも分かるわけです。

これから、どんどん新事実が明らかになる「要注目」遺跡

こんな感じで、現段階でもかなり充実した情報がザックザクのデーノタメ遺跡ですが

今後、調査技術の発達によって、さらに明らかになる事実は着実に増えていくと、担当者の人は目を輝かせていました。

これまで、文字がない、文明のように大規模に残る遺構もすくないなどの理由で、とかく低く見られがちだった日本の縄文時代ですが、

今後調査がさらに進むことで、我々はもちろん、世界中の目をブン剥かせる事実が判明するかもしれません。

そんな意味でも、まだ調査の余地が十二分にある「デーノタメ遺跡」は、要注目の遺跡と言えるんじゃないかと私は思います。

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コメント

  1. このサイトのコメント欄って第三者には見れないのですかね??
    もしかしたら、複数同じコメントを送ったかもです

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