陰のフィクサー像一発崩壊!笹川良一爆笑エピソード

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この記事では、工藤美代子「悪名の棺」から、笹川良一の生前のエピソードの中から

思わず笑っちゃうエピソードを紹介します。

中年以上の世代では「一日一善」のおじいさんでおなじみ

この人、生前は元A級戦犯だとか、ファシストだとか、モーターボート事業のテラ銭をはねて自分の売名に使ったとか、

散々に言われていたせいで、今でも「何だか分からないけど、悪い人」みたいに思ってる人がいるんです。

そのような謎を本を読みながら、一つ一つ検証したのが、当ブログの『モーターボートに乗った「福の神」~笹川良一』という記事でした。

ここでは、割とマジメなエピソードを中心に、どんな生涯だったかを事実に基づいて書いてみたんですが、

今回、「悪名の棺」を読んでみて、このおじいちゃん(以下、笹川センセー)のトンチンカンな面白エピソードを

ぜひ啓蒙したく、この記事を書いてみようと思い立った次第です。

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超高速!の故郷訪問

皆さまは故郷に帰る、となると2,3日はのーんびりして、

兄弟や親せきと近況報告や思い出話をしながらなんて、そーんなイメージをするでしょうが

毎日旺盛なエネルギーで世界を股にかける、

笹川センセーにとっては、そんなこともまどろっこしくて仕方がない。

まず、生家を訪れると、ひとしきり昔どおりに保存されている様子をぐるりと眺めまわし、

昔ゴンタと呼ばれた少年時代をしばし追憶。

そして玄関で靴も脱がないまま、妹さんに

「おい、いくつになった?」

妹さんが「兄さん、私だって72(歳)になったわ」と答えれば

「なにを言うか。60引いて12だと思え」みたいな説教をチョコッとして帰っちゃう。

その後は実家の墓参り、小学校訪問、幼馴染の川端康成の実家と先祖の墓に詣でて、終了。

腰を落ち着ける暇もないほど、毎回が超高速の故郷訪問だったそうだ。

「軍艦マーチ」の演奏に乗せて巣鴨プリズンへGO!

戦後、東京裁判で次々と日本の指導者が逮捕される中、

「塀の中にいる連中に、法廷戦術を教えねば!」と考えていた笹川センセー。

しかし、こういう時はGHQから呼んでもらわないと、中々塀の中へはご招待してもらえない。

そこで、あちこちで「日本は悪くない!締め上げられてやむを得ず立ち上がった」という

大演説会をGHQが見てる真ん前でこれ見よがしに行った。

これが効いたのか、それとも戦前の活動で目を付けられていたのか…

めでたく?当時の巣鴨プリズンへ出頭命令が下った。

指定日当日だと、なんかギリギリすぎて良くないとその前日

羽織はかま姿の笹川センセーは、楽団を引き連れて軍艦マーチを演奏しつつ堂々と出頭を果たしたそうな。

なお、結果は不起訴。

東条英機にも噛みつく反骨ぶり、どこまで行っても外野の立場からしか活動しなかったため

叩いても全然ホコリがでなかったから。

和食?にするか、それとも中華?

食事に関しては質素極まる笹川センセー。

戦前の「ぜいたくは敵だ」のスローガンもそのままに、たまに囲む家族の食卓でも

飯に味噌汁、めざし二本、お漬物、以上。

ある時会合で出てきたのは冷ご飯に生卵一つ。

「卵かけごはんは身体にいいぞ!」と食べていたが、側近は毎回毎回卵かけごはんでゲンナリ。

また、和食で好きだったのは具の入っていないうどん。

コレを汁をたっぷり吸いこませて、デロンデロンにしたのが好物。

そして、人をもてなすときに「中華がいいだろう」と言って、

さて、どんなものを出されるかと客が期待してみたら、チャーハンだった。

宮様であろうとどなたであろうと、食事となると、うどんかチャーハンでもてなすという徹底ぶり。

タレント「笹川良一」爆誕!!

我々の世代だとお馴染みなのが、日本船舶振興会や日本防火協会のCM

とくに有名なのが先述した「一日一善」のCMで、ここには作曲家の山本直純さんや

元関脇の高見山大五郎さんも出演していた。

そして、ここにも我らが笹川センセーが出演し視聴者に広く公衆道徳を呼びかけた。

なんで出演したかというと、自分で出ればギャラを払わなくていいから。

しかし、そこで「笹川良一が売名行為をしている」と非難の対象に。本人からすれば

年中他人様が、「あることない事書いて大宣伝してくれるのに」とは思うが、

まぁ、じゃどうしたら文句を言われないだろうか?と考えた

CMを見ていると、タレントが出ても、売名行為とは言われない。

これだ、と思った笹川センセー。なんと…

芸能事務所に「名前だけ」入れてもらって、タレント登録をしてしまった。

それ以降、本人も大いばりで、CMに出演し続けた…とか。

お母さんの名前を「孝子」と間違えられる

また、このCMシリーズには、老母を背負って金毘羅まいりをする

笹川センセーの姿が映るバージョンがある。

生前から母親のテルに対しての敬慕を隠そうとしない笹川センセーは、

親孝行を広く世に呼びかけようと銅像を建立した。

一般の人とちょっと違うのは、モデルが自分と老母であること。

母背おい 宮のきざはし かぞえても かぞえつくせぬ 母の恩愛

と題した自作の「我が母への賛歌」も付けちゃったりして、この像を「孝子像」と名付けた。

それはいいんだけど、作ってから困ったのが

笹川センセーの母親が「孝子」だと勘違いされるケースがものすごい増えたことだった。

父と子、パート1

普段はうどんとチャーハンで全国を飛び回り、

風呂のお湯は入って満杯になればいい、水がもったいないと

ケチというか、倹約の精神を徹底させたのも、「社会活動に余力を全力投入せん」がための信念に基づいているわけです。

で、子どもに対しても愛情いっぱいに育てた?のかと一瞬首をかしげるスパルタぶりで

質素な食事に、風呂のお湯、チリ紙にいたるまで無駄遣いをしないように徹底。

たまに子どもらしく、オモチャの電車なんぞをねだったりしても

「鉄道省に入れ」で終了。

しかし、こういう偏屈…もとい信念の男の下に生まれる子どもたちは、

それこそ逞しく育つらしく

父親が時折言ってくるムチャぶりにも、技ありの対応をするようになった。

ある時、三男の陽平さんが、笹川センセーに

「大人になったんだから、みかん箱に金を詰めて持ってこい!世のため人のために使ってやる!」

…とあんまりしつこく言われるもんだから、一計を案じてみかん箱を持参して「持ってきました」。

持ち上げた笹川センセー「随分重いな、何が入ってる?」と尋ねたら

陽平さん、シレッとした表情で「コインを入れました」

重いし、箱一杯もらっても額面は大したことないし、持ち歩こうにもかさばって難儀だしで

さすがのセンセーも閉口。

以後「みかん箱に…」という言葉はなりを潜めた、ということです。

父と子、パート2

笹川センセーと言えば、家に縁を結んだ女性たちの名前を短冊に書いて

日々祈って冥福を祈るという、あふれるばかりの愛の人でもあった。

その数70を超えたというから、一つの縁もロクすっぽ育てないズボラな私からすると

これが同じ人間かと、呆れかえ…いや、驚愕するばかりです。

で、先述の陽平さんに「イイ女を紹介しろ!」とまたムチャぶり。

そこで、宝塚のキレイな方々を丁重に4,5人お招きして、父親の前に連れてきたわけです。

「キレイな女性をお呼びしました、さ、どうぞお話ください」。

まさかの正面突破に、さすがの笹川センセーも毒気を抜かれ…というか、

実は笹川センセー、女の人に滅茶苦茶シャイなんで、

いきなりズラリと来られると、普段の威勢もどこへやら

うつむいて、一言も出ない。

やっとの思いで「巣鴨拘置所のとき…東条(英機)が」と話を絞り出してみたものの、陽平さんに

「彼女たちにそんな昔ばなし分かるわけないでしょ。もっと新しい話を」とまぜっかえされて

むむむ(´・ω・`)と、顔真っ赤にして沈黙。

「…あんときゃ、かわいいな、と思いましたよ」と陽平さんの言。

【関連記事】

モーターボートに乗った「福の神」〜笹川良一
「日本のスゴイ人列伝」で9回目は現日本財団の基礎を作った笹川良一さんを紹介します。実はこの2週間ほど、この人を書きたくって色々資料を調べまくっていたんですが、いつまでやってもキリがない。なので、ここで一旦まとめてみようと決心しました。

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この記事を書いたのはこんな人です
とーちゃん

活字中毒歴30年超。どんなことでも面白いと思ったらやっちゃう性格でそれが今の仕事でも結構活きています。
年間50冊くらいの読書に加え今ハマっていることは中学校英語のやり直しとブログ執筆。
「頭は生きている間は進歩するだろう」と常に勉強を続けています。学習支援のボランティアに従事してたこともあります。姪っ子命の伯父バカ。

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