実は裏の目的があった「あんパン」誕生秘話

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この記事では、日本独自のパン「あんパン」誕生秘話を書いていきます。

美味しいものを作る、という純粋な目的の他に、様々な裏話があるのは、非常に面白いもので、あんパンひとつから、様々な話が噴き出してくるものです。

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馬鹿の筆頭は「米穀を食わずパンを食う日本の人」

明治維新の直後はまだ、インテリ層は漢籍に親しんだ人が多かったんで、なんでもかんでも洋風というのが、すごーく嫌がる人が多かったんです。

 

それが濃厚に漂うのが、当時流行った「馬鹿の番付」で、東の大関は「米穀を食わずパンを食う日本の人」でした。

一番左に、バカの大関として紹介されている「米穀を食わずパンを食う日本人」

食い物ってのは、昔の習慣をそうそう捨てきれないわけですが、それまでが飯とみそ汁に馴染んでいた日本人にとると、ぱっさぱさ(当時)のパンはやっぱり味気ないし、「物好きの食い物」というイメージがあったわけです。

まして、それをありがたがるなんて、お前はホントに日本人か!?と。

実は、脚気にいいと分かって…

ところが、この食べつけないパン…ビタミンB1が豊富なんです。

ただ、当時はこのビタミンは知られてないですから、栄養がどの影響があるのか分からなかったんです。しかし、パンを食べていると脚気にならない…ということが分かってきました。

脚気は当時、江戸患いと呼ばれていました。江戸に暮らしていると、むくみやしびれに悩まされ、倦怠感が募り、最後には寝たきりになって最悪、命を落としてしまう。

江戸は地方から出てくる人が多数暮らしていますから、江戸に行くとこの奇病に悩まされる人がいたわけです。しかし、地方に戻るとピタリと治る。

なんで、江戸患い。

結局この病気がビタミンB1の不足が原因だと分かるのは30年くらい後なんですが、パン食をしていると、この奇病に不思議とかからなかった。

旨くないけど、脚気予防になる…パン食は意外なところから光が当たったわけです。

…とはいえ、それじゃ病人食です。西洋のいいところを進んで取り入れる、という目的にはかなうかもしれないけど、美味しくなければ流行らない。

そこで、目を付けたのが木村屋の店主、木村安兵衛でした。

酒種でふくらませ、あずきアンを包む

彼は、明治2年に「木村屋」を創業。

饅頭のように、パンでアズキあんを包み、焼き上げるアイデアを6年かけて完成させます。

イーストではなく、酒種を使って生地を膨らませるため、焼きあがったパンからは馴染みのある香りが立ち、実に美味しい。

そして、このパンを明治天皇の侍従を務めている「剣友」の山岡鉄舟に食べさせてみました。木村さんは桓武平氏の流れをくむ、常陸の豪族の血を引く人物で、山岡さんとも親交がありました。

そして、木村さんはこのあんパンを入り口として、日常食としてパンを普及させたい、という思いも打ち明けます。今でいう、食パンの普及にステップアップしたいと。

あんパンを食べた山岡さんは、この旨さと友人の思いに感銘を受け、彼に力を貸すことにしました。そのためにこの新商品を発売を控えて欲しい、と話しました。

出入りの和菓子屋の目を盗んで、明治天皇にあんパンを食べさせる

「このあんパンを天皇陛下に召し上がっていただこう」、木村さんに山岡さんはそう提案しました。

明治天皇は御製に「よきをとり あしきをすてて 外国(とつくに)に おとらぬくにと なすよしもがな」と詠むほど、新しいものを積極的に取り入れよう、という気持ちの強い人物。

そして、天子さまが食べた、となれば宣伝効果はバツグンだ!というわけ。

しかし、明治天皇の周りには京都から一緒に来た出入りの和菓子屋さんがいるから、彼らのガードは中々に固い。

そこで、山岡さんは一計を案じます。

明治8年4月4日、明治天皇は東京向島の水戸藩下屋敷を行幸されました。外でなら、出入りの業者に邪魔されないと踏んで、ここで山岡さんは天皇皇后両陛下に「あんパン」を勧めます。

これが大当たり。両陛下は、お饅頭のようなアン入りのパンが美味しかったらしく「これからも引き続き納めるように」とのお言葉を下されます。

トップダウンのひと言ですから、和菓子屋さんも口を挟めない。山岡侍従の作戦勝ちでした。

山岡さんのアイデアで、明治天皇御用達というあんパンは話題になり、鉄道による交通網の整備も相まってその知名度は全国に広がりました。そして、山岡さんは木村屋の看板も書いてあげます。

…そこまで言うと、なんか見返りがあったんじゃないの?と勘繰りたくなりますが、それは全くなし。

友人の心に賛同した、山岡さんの真心から出た行動だったそうですよ。

そして、全国各地であんパンは作られるようになり、パン食が全国に広がりました。木村さんの見立てである、食パンの普及は大正期に実現することになります。

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