Xで、「昭和天皇の食べていたお米は、標準米だったけどフツーじゃない」と書いたら
結構な反響をいただいたので、その謎解きをしていこうと思います。
まず、標準米…とは。
とはいえ、昭和53年生まれの私にも、標準米というのはずいぶんと遠い話になったんで
最初にそれを説明します。
1995(平成7)年まで、日本は食糧管理法という法律があり、日本では米というものは政府が責任をもって安定流通に努める、という建前でした。
これは、戦後食糧難になった際に、国民へ充分な食料を供給するために作られた仕組みだったのですが
その後、米の増産が進む一方で、食生活の多様化でコメの消費量が減るという状況になったことで
需給バランスが逆転したのです。
そのため、政府が消費量を上回るお米を引き受けることとなり、減反政策が進んだり
本来ならば政府を通さずに消費者に届く「闇米」が逆に美味しいブランド米だったりする逆転現象が発生してしまうため、
こりゃもう、時代遅れだと食管法が廃止されたわけです。
昭和天皇の生前(1989年崩御)は、それ以前の話。
つまり、米というのは、法律上は全て政府のコントロール下に置かれていた。
その際の呼び名が「標準米」と呼ばれていたわけです。
フツーであって、フツーじゃないお米の理由
昭和天皇のお米は当然、食糧管理法を守って標準米を納めてもらってた米でした。
お米屋さんが定期的にスクーターに載せて皇居に届けていたものです。
…ただ、この標準米がただのお米じゃないんです。
選んでいるお米屋さんがまず、ただ者ではない。
昭和天皇の料理番として長年大膳を取り仕切って来た秋山徳蔵さんをして「この人に任せれば大丈夫」と太鼓判を押されていた
目黒にあった、小黒商店の店主さん。
彼の信念は「標準米のいいヤツはブランド米に引けをとらない」。
つまりですね、国一つの胃袋をまかなうお米ですから、それはそれは膨大な量になる。
お米の質についても、均一ということはない。食味なり、質に何らかの差がある。
店主はその時期、その時期のお米の状態を逐一吟味して「これが一番美味しい」と選び抜く眼力がメチャクチャ高かった。
そして皇居に納品するのは、店主がここぞ、と選んだ産地の中から、さらに選び抜いた、一番美味しい米というわけです。
つまり、店主の言を借りるなら「私の選んだ米は、ブランド米にひけをとらない」わけで、これはある意味、ブランド米よりもフツーじゃないわけです。
陛下が口に入れるものだから、炊く時も細心に
小黒商店は選び抜いたお米をオーダーの7、8分づきの玄米にして、その都度スクーターで皇居に届けていました。
それを炊く側の丁寧さもまた、半端ない。
昭和天皇、平成では皇太子時代の今上陛下の料理をつくっていた渡辺誠さんは、
自著「昭和天皇のお食事」の中でご飯の炊き方について触れています。
それによると、お米が大膳課に届けられると、その日使う分だけをまず研いで
ザルにあげて乾燥させてから、大きな天板に広げて
ゴミはないか、黒く変色しているものはないか…といった部分をチェックしていき、より分けるようにしていたそうです。
それで、押し麦を加え、慎重に水加減を決めてから、ガス釜で炊き上げる。
麦ごはんにするのは、戦前からの習慣で、まだお若い時は、さらに精米を下げて、玄米食を徹底していましたが、
戦後は七、八分づきに若干下げ、麦も丸麦から押し麦にかえたそうです。
麦飯は、長寿食と言われ、刑務所に入ってる受刑者なんかは、多少の高血糖は麦飯をたべているうちに治ってしまうとも言われています。
普段から腹八分目で、ご飯でも麦ごはんにした7分づき、8分づきの玄米を徹底していたから
長年、健康を保つことができた一因と言えそうです。
【参考資料】
こちらもぜひ、読んでみてください。

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