以前、学習支援で英語を教えていた時、お正月を取り上げたレッスンをやっていて「お雑煮」の話になった。
皆様ご存知の通り、お雑煮は地方によってどんなダシを使うか、どんな調味料で仕立てるか、材料は何が入っているかで全国で違いが色々ある。
関東の生まれの僕の場合、昆布だしで醤油の澄まし汁に、焼いた角餅。小松菜を茹でたものとカマボコを入れる。
お雑煮を食べない子どもに、お雑煮を説明するには?
で、教えている子に「ウチではどんなお雑煮を食べているの?」と聞いてみた。
答えは「ウチでは食べない」。
これにはビックリした。後でそのことをNPO法人に話したところ、学習支援で面倒を見る子で意外な弱点となるのがこういった「生活の経験」が乏しいことだという。
お正月と言われれば僕なら、即座に祖父の顔とみんなでフウフウ言いながらお雑煮を食べ、お煮しめをつまみながらペチャクチャ話した経験が真っ先に思い出されるし、
このブログを読んでいる皆さんにも「お正月の時は~」「お年玉は~」といった経験をお持ちの方も多いはず。
それが、かなりのケースで抜け落ちるそうだ。
たかが、それぐらいで…と思う方も多いだろうが、僕らは生活の中で様々な経験を積み、自分の糧としていくもの。それは決して無駄な体験ではなく、情操や習慣といったものから学ぶことは実は膨大で、それが学習や社会生活で必要なものも大変多いということだった。
経験したことのないものをサラリと流さず、その子の代替知識として似たものを提供することが必要ということだ…はて、どうしたものだろうと考えていた。
そして、最近別の子にこの課を教える機会が来た。
「君の家ではどんなお雑煮を食べているの?」とまた、聞いてみる。
「食べていない」とやはり回答が来た。
そうか、じゃどうするかな…。
「ウチはすまし仕立ての四角い餅が入っているんだ」とまず、振ってみた。
「だけど、大学時代に同級生とどんなお雑煮を食べているの?と言ったら、これが面白かった。そいつのウチはアンコの入ったお餅を入れた白みその汁なんだ」
「甘くて、しょっぱくて…なんか変な感じだね」と生徒。
「『アンコの入ったお餅とみそ汁』対『すまし仕立ててで』どっちがフツーかを話してたら、他のヤツが『ウチはダシにトビウオを使う』というのが出てきたり、『いや、具にシャケ入れるぞ』とか、色んなのが出てきた」
「でも、なんで違うのかな」と不思議そうに考えている。そこで、彼らの出身地を明かして「お雑煮も色々あって伝統的なものは近くで手に入る材料を使う」という話になった。そこから、「家庭の味」は代々受け継がれたりする、って話になった。
そこの話では、孫たちがおじいさんのお雑煮を楽しみにする、って筋立てなんだけど、それはたぶん同じように作っても味が違うんだろうね、とか勉強に関係のない話も若干、混ぜた。
すると不思議なんだけど、勉強の時もちょっとやる気が出たようだ。
雑談的な知識が、勉強への興味を掻き立てる
その後も色々な場所をチェックしたらシャーロック・ホームズが分からない、ガリバー旅行記が分からない、と分からないことだらけで、その度にどういう話なのかをかみ砕いて教えるようになりました。英語そのものを教える前に、書いてあることをわかりやすく説明する。
シャーロック・ホームズは探偵の話だよ、ガリバー旅行記はガリバーが小人の国や巨人の国に冒険する話だよ、とその程度のことなんですが、
驚いたのは、そういった仕掛けを色々やってみたら、実際成績って上がるのね。
僕はその辺ものすごくドライで、「知識があれば点が取れるし力が付くもんよ」って信じていたのだけれど、やはりそれだけじゃ不十分だったんだね。
思い返せば好きだった教科は話の面白い先生だったよな、実際。
私自身、いい勉強になったと思った。
学習支援について、なんか参考になればと思ったので、最近読んだ森絵都の「みかづき」にそういう描写がありました。面白い本なんで、この機会にぜひ。
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