この記事では、私の大学時代に遭遇した過激派(ゲバ、語源はドイツ語のゲバルト=暴力)との全く懐かしくないが、ちょっと哀れな連中との戦いを書いていきます。
過激派なんて、1970年の話?と思われるかもですが、現在42歳の私が20歳そこそこのとき、2000年前後のことです。
今、母校にはこんなのいませんのであらかじめご了承下さい。
大人の階段をのぼり忘れた、子供のような大人たち
私が母校に入ったのは1997年。
当時はキャンパスには学生棟というサークルの建物があって、『○○政権打倒』とか書いてある看板がかかっていたものです。
大学のガイダンスに出席して、「入学後に手続きが必要なものはコレです」とか話を聞き、ガイダンスが終わると、生徒にしては歳を食い過ぎた人が壇上に現れ…
「我々は大学当局の管理に反対し…」などと演説を始めました。
参加者たちは「何こいつら?」みたいな感じでゾロゾロと会場を出て行きます。私も右に同じく、会場を後にしました。
彼らはいつも学生棟のそばで出汁が取れるようなヨレヨレのジャージで、ゲバ看板を書いてました。どう見ても中年で、大学生には見えない。
しばらくして大学生協の本屋に行ったらそこに例の看板書きが働いてました。
後で分かったのですが、彼らは革命ごっこで社会復帰を逸して、そのまま身内の大学生協に潜り込み、革命ごっこを継続していたのです。
こんな、大人になり損ねた子供みたいな連中をアレコレ書いていこうと思います。
ボッタクリ新聞を一部500円で販売!!
世の中、活動するにはなんでも元手がいるものです。
しかし商売しようにも、気働きも頭も効かない中年にできる仕事など限られているのは、どこの世界も一緒です。
従って、彼らは学生たちから金を巻き上げることになります。まぁカツアゲではなく、ちゃんと商品を売るんですが。売り物に相応の価値があるかどうか、それは別問題なんですがね…
入学後間もなく雑誌編集サークルに入った私は、学生棟の部室で授業以外の時間潰しをするようになります。
そうすると、ゲバの連中が『解放』というゲバ新聞を売りに来る。一部500円也。
サイズは新聞のブランケット判で紙質は一般紙よりずっと良かったです。
…でもね、中身がぜーんぶ自画自賛。デモをした話を1ページ紹介したりしますが、そもそもそんな大した内容ではない…紙代を考えてもボッタクリ価格でした。
ヘルメットのレンタルはいかがっすかぁ?
資本主義打倒を掲げながら、なぜか商売熱心なゲバの皆さま。
部室を「貸してやる」代償はデモ参加の割り当て。
各サークル何名、と上から目線で召集をかけます。
で集まった学生に、「公安に顔を撮られると就職が難しくなる」と脅しをかけ、汚いヘルメットを一個500円でレンタルし、顔を隠すタオルを200円で販売。
私も狭山事件◯周年デモに参加したことがありますが、デモの参加者は一部のガチと圧倒的大多数の仕方ねぇなぁ…に分かれていました。
学祭でビールを「密輸」した話
彼らのかき入れ時は年に一度の学祭。
学祭のちょっと前から検問所を設けて、(誰の許可も受けずに)手荷物検査。
デモの時に公安に「手荷物を見せる義務は我々にはない!」とか偉そーに言ってたくせに
自分たちがやるのは、いいんですか…
補足説明します。コレはどういうことか。
学祭と言うと、模擬店やるじゃないですか?
料理の材料はともかくビールとか、冷却用の氷とかは学生会が卸したものしかダメだったりします。コレがまた、バカ高い。市価の倍くらいだったりしました。
頭にきたから、勝手知ったる同志を募り…
2、3駅向こうの西友で同じ缶ビールを買い付けて、隣のお寺の敷地から「密輸」して売り捌いてやりました。手間賃で50円くらいは載せましたが、それでも独占企業よりかははるかに安い。
サークルに飛ぶように売れました。
どうやら、その年は我々の「密輸」のせいで思うように捌けなかったらしい…自分たちの商売を邪魔されて、おカンムリのゲバ様ご一行。
と言っても日頃の行いがたたって誰も知らんぷり。
犯人が分からないものだから、「反動勢力の妨害だ!」と息巻いて『解放』を売りに来た時に、「反動勢力から買わないように」と反動勢力に語っていました。
頭悪いな〜。
酔ってゲバ看板にヘッドバットかましたら…
あの手この手で学生から銭を巻き上げてた連中が、その権力基盤にしてたのは、一にも二にも「部室」でした。
実はある部屋の窓が鍵がかかってなくて、裏から入ると部室に着ける。
だから誰もいない、と確認してから表のシャッターが11時に閉まるのに12時に中から音楽部の練習が聞こえたり、麻雀に興じてる連中もいる、といったあんばいになってる。
だから、終電逃しても平気で部室に泊まり、
朝になってシャッターが開いたら近所の吉野家で牛丼食べて朝帰り、とかフツーにできました。
あるとき、飲み会で飲み過ぎてフラフラ歩いてたら、ゲバ字で書かれたゲバ看板が妙に憎たらしくなり、ヘッドバットをかましてました。
後で、私が凹ました看板が『解放』の一面に掲載され、「反動勢力の破壊工作」とトップニュースに…
そんなバカな…でしょうが、そのくらい中身のない新聞ですから、許してあげてください。
その後、楽園追放!!
とまあ、あの手この手でお小遣い…もとい活動資金を稼ぎ、革命ごっこというおままごとを続けてたゲバ様ご一行だったのですが…
大学当局が遂にキレた!
私の卒業後、関係者の中でもとりわけタチの悪いのがキャンパスから叩き出され、学内秩序の回復が行われました。ご一行のその後の消息は不明です。
現在の大学はホントきれいで、かつてゲバ看板が立っていた学生棟は取り壊されて、現在は当時を偲ばせるものはほとんどありません。
私、SEALDsやグレタさんみたいな「社会運動にハマるガキ」を見ると、ついあの時に人生の階段を間違えたゲバ様ご一行を思い出します。
【関連記事】
最後まで読んでいただきありがとうございます。この記事が面白かったらTwitterリツイートやシェアボタンでの応援よろしくお願いいたします。
コメント