今更人に聞けない、『建国記念の日』まとめ

今更人に聞けないこと

この記事では、2月11日の『建国記念の日』について書きます。

みんななんとなく祝日でお休みだね、くらいに思っているでしょうが…

日本が建国されたのって何年前?

から始まって、この日がどうできたか?と言ったことはあまり知られていません。その辺をまとめてみました。

日本建国は弥生時代?

建国記念の日は、1873年(明治6年)に、2月11日は、日本国の建国の日として「紀元節」と定められ祭日となりました。

この2月11日というのは、初代天皇である神武天皇が即位したとされる紀元前660年1月1日(旧暦)を現在の暦(グレゴリオ暦)に換算して算出されたものです。日本書紀や古事記で語られたその日を「紀元節」と定めたのです。

しかし、歴史の知識のある人なら、紀元前7世紀の日本というのは弥生時代だというのはご存知のはず。

土器とか石器は出てきても当時の文書は当然出てきません。

つまりはこれは建国神話である、ということです。神武天皇にしたって137歳まで生きた、というから…まぁ、細かいことは気にしない。神話だからいいのです。

古代ローマが狼に育てられたロルムスとレムスによって作られた…というようなものです。

戦後GHQの命令で廃止

さて、制定翌年から祭日とされた「紀元節」ですが、1945年(昭和20年)に日本はアメリカを主とする連合国に降伏し、太平洋戦争は終わります。

日本には連合国が進駐し、占領下の時代が始まりました。

1948年(昭和23年)に占領軍 (GHQ)が、日本の文化から国家神道を徹底的に排除しようとする過程で「紀元節」は廃止されました。

当時のGHQはムチャクチャで、紅白歌合戦は戦争を想起するからダメ!

「紅白音楽試合にせよ」とかまぁ、余計なことにまでクチバシを挟んできた存在です。

まして、カミカゼアタックの本家本元がシントーであるくらいの認識ですから、目の敵にされるのもムリはありません。

1952年(昭和27年)のサンフランシスコ講和条約で、日本は独立を果たすわけですが、この時は紀元節は復活しませんでした。

復活までのゴタゴタ…

1957年(昭和32年)には、議員立法として「建国記念日」制定に関する法案が提出されましたが、当時野党第一党の日本社会党が

「保守政党の反動的行為」

であるとして反対し、結局廃案となりました。

その後、「建国記念日」の設置を定める法案は、9回の提出と廃案を繰り返します。

また、従来の2月11日にしても、この機会に解釈を変えようという動きもあって、

社会党は5月3日(憲法記念日)

公明党は4月28日(サンフランシスコ講和条約締結の日)

民社党は4月3日(聖徳太子の17条憲法制定日)

とここでまた、議論紛糾します。

最終的に「紀元節」と同じ2月11日を「建国記念日」とすると決まったのは1966年(昭和41年)。翌年から現在に至る国民の祝日となっています。

廃止から復活まで、実に19年かかったことになります。

「の」を付けた理由

ところで、当初法案は建国記念日だったのに、なぜ建国記念「の」日になったのか?

これは『建国されたという事象そのものを記念する日』であるとも解釈できるようにしたもので、神武天皇スゲーじゃなく、「建国の苦労をしのび、国を大事にしよう」と思う日!というための苦肉の策でした。

まぁ、「神武天皇が即位した日」というのは神話ですから、予備知識として知っておけばいいとは個人的には思います。

ただ、私たちは顔も名前も知らないご先祖様から順繰りに命のバトンを渡されて、今ここで生きてるわけです。だから、それを一年に一回、この日くらいは感じてもいいんじゃない?とは思いますね。

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