読書術、というのは一般的に「どんな難しい本でもこの方法を使えばスラスラ読めて、理解できる」ような
神秘の秘術みたいな扱いを受ける。
雑誌の企画でもそのような扱いになっており、読書家が独自の技術を披露し、おススメ本には、むずかしい本が並んでいる。
勢い込んで実践するものの、いつの間にかやるのに飽きて、手元には「推奨図書」の山ができるなんて経験、あるかもしれない。
…と、いかにも「自分は違う」と書いてみたものの、実はこれ20年ほど悪戦苦闘したブログ主本人の実態を書いただけだったりします。
じゃ、誰にもできる読書法って何だろう?これがこの記事の主目的。
難しい本をスラスラ読み、理解する技術なんてありません
さて、前の段で「難しい本をスラスラ読み、理解できる」という読書術の定義を紹介したが
最初に言います「そんなものはない!」。難しいものは難しいのです。
知識や洞察力が足りないのに、それを付け焼き刃の技術で補うということは、そもそもできません。
よく考えればすぐわかると思います。
大学出たばかりの新人が、自己啓発書を読みかじって、先輩のあなたに業務の改善方法を説きはじめたら、なんというか?
「知ったかぶりすんじゃねぇ」でしょ?読書だって同じことなのです。
まずは、読書術という「枯れ尾花」にそこまで過大な期待をしない、という意識を持ちましょう。
プロの世界はどこまでも、厳しく過酷で、基礎を積み重ねて地盤を造り、そこから枝を伸ばして専門を磨いていくしかありません。
小さな道からの一歩一歩が大事なのは、みなさま私に言われなくても分かると思います。
好きな事から始める、出来ることから始める
大体専門的な話って、それだけでも一生がかかるものです。
仕事で仕方なくやるならともかく、読書を積んで、専門家になる必要はない人が大半だと思います。
それに、読書で得られる知見って、割と賞味期限が長いかわりに、もしかしたら一生使わない知識だったりすることもあるんです。
じゃ、なんでやるかって言えば「面白い」からだと思います。
だから、まずは面白いという気持ちを大事にした方がいい。ビジネス書や新聞の書評欄にある小難しい本は大体が「ハッタリ」なんで
世の流行りに振り回されてもいいけど、これと見たらトコトン食いついてみる。
活字も映像もマンガも、面白いと思ったら夢中になってみる。
ラジオやテレビのゲストや解説者で、面白いなと思った人の本を読んでみる。
本だけではありません。最近はYouTubeのコンテンツでもバカにできません。古代エジプトがなんか、面白いと思ったら河江肖剰さんの「古代エジプト」なんかは
タダで視聴できるのが奇跡という位、質の高いコンテンツです。
ここから入って、河江さんの本を読んでみる。
あるいは三国志に興味を持ったらどうするか、横山光輝や、蒼天航路なんかから入っていって、吉川英治や北方謙三の小説を読んでみる。
フィクション、ノンフィクションを問わず、興味のおもむくままにがっついて行くんです。
メモを取れ、と私も以前書きましたが、勉強でなければ書く必要はありません。
とにかく、夢中になって読んでるうちに、活字を読む、情報をありのままに受け取って自分で考えることに疲れない「体力」を養う事が大事です。
ひとりひとり、興味を持つことは変わってくる、そこが個性になる
で、自分で四方八方に興味の根を伸ばしていき、同様のことを行く先々で実践していきますと
20年くらいしたあたりから、その人の独特なスタイルが出来ていきます。
気になるところは、ちょっと取っておいて後で見返したい、とか、あの本とこの本は確か違っていたな、と思って読み始める。
情報を整理してまとめてみよう、なんて意欲を出す人もいるかもしれません。そこまでいくと、立派な教養人です。
そう、世の中にあるあまたの「読書術」と呼ばれるものは、結局「知りたい」と思った人が自分の得た知識をどうやってまとめるかを探して
自分なりに工夫して作り上げた「オーダーメイド」なんです。
だから、他人の体型に合わせて作った服がピッタリしないのと同じように、その人の読書体験を経て確立した読書術がシックリとしないで、いつの間にかやめてしまうのは当たり前なんです。
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