この記事は、去る2022年9月27日に挙行された
安倍晋三元総理大臣の国葬儀での、菅義偉元総理大臣の弔辞を掲載します。
決して雄弁ではない、時折言葉を詰まらせながらの訥々とした語りの中に
突然の凶行で畏友を失った、菅さんの無念の思いがつまった言葉だと思います。
*ブログ内で掲載したお写真は、Twitterの方から提供をいただきました。厚く御礼申し上げます。
【菅義偉元総理大臣弔辞全文】
7月の、8日でした。
信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。
あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。
その一心で、現地に向かい、そして、あなたならではの、あたたかな、ほほえみに、最後の一瞬、接することができました。
あの、運命の日から、80日が経ってしまいました。
あれからも、朝は来て、日は、暮れていきます。
やかましかったセミは、いつのまにか鳴りをひそめ、高い空には、秋の雲がたなびくようになりました。
季節は、歩みを進めます。
あなたという人がいないのに、時は過ぎる。
無情にも過ぎていくことに、私は、いまだに、許せないものを覚えます。
天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から、生命を、召し上げてしまったのか。
口惜しくてなりません。
哀しみと、怒りを、交互に感じながら
今日のこの日を、迎えました。
しかし、安倍総理…とお呼びしますが、
ご覧になれますか?
ここ武道館の周りには、
花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。
20代、30代の人たちが、少なくないようです。
明日を担う若者たちが、大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。
総理、あなたは、今日よりも、明日の方が良くなる日本を創りたい。
若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、
毎日、毎日、国民に語りかけておられた。
そして「日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ」―これが、あなたの口癖でした。
次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて、経済も成長するのだと。
今あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、
歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。
報われた思いであります。
平成12年、日本政府は、北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。
私は、当選まだ2回の議員でしたが、
「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」
と言って、自民党総務会で、大反対の意見をぶちましたところ、これが、新聞に載りました。
すると、記事を見たあなたは「会いたい」と、電話をかけてくれました。
「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれれば嬉しい」と、
そういうお話でした。
信念と迫力に満ちた、あの時のあなたの言葉は、その後の私自身の、政治活動の糧となりました。
その、まっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は、直感しました。
「この人こそは、いつか総理になる人、ならねばならない人なのだ」と、確信をしたのであります。
私が生涯誇りとするのは、この確信において、一度として、揺らがなかったことであります。
総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座を退きました。
そのことを負い目に思って、2度目の自民党総裁選出馬を、ずいぶんと迷っておられました。
最後には、2人で、銀座の焼鳥屋に行き、私は、一生懸命、あなたを口説きました。
それが、使命だと思ったからです。
3時間後には、ようやく、首をタテに振ってくれた。
私はこのことを、菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも、誇らしく思うであろうと思います。
総理が官邸にいるときは、欠かさず、1日に1度、気兼ねのない話をしました。
いまでも、ふとひとりになると、そうした日々の様子が、まざまざとよみがえってまいります。
TPP交渉に入るのを、私は、できれば時間をかけたほうがいいという立場でした。
総理は「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、
どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。
一歩後退すると、勢いを失う。
前進してこそ、活路が開けると思っていたのでしょう。
総理、あなたの判断はいつも正しかった。
安倍総理。
日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、
特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案を、すべて成立させることができました。
どのひとつを欠いても、我が国の安全は、確固たるものにはならない。
あなたの信念、そして決意に、私たちは
とこしえの(いつまでも、永遠の:ブログ主注)感謝を捧げるものであります。
国難を突破し、強い日本を創る。
そして、真の平和国家日本を希求し
日本を、あらゆる分野で世界に貢献できる国にする。
そんな覚悟と、決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは、常に笑顔を絶やさなかった。
いつも、まわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。
総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8か月。
私は本当に幸せでした。
私だけではなく、すべてのスタッフたちが、あの厳しい日々の中で、明るく、生き生きと働いていたことを思い起こします。
何度でも申し上げます。
安倍総理、あなたは、我が日本国にとっての、真のリーダーでした。
衆議院第一議員会館、1212号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。
岡義武著『山県有朋』です。
ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。
そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。
しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。
総理、いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。
かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
深い哀しみと、寂しさを覚えます。
総理、本当にありがとうございました。
どうか安らかに、お休みください。
令和4年9月27日 前内閣総理大臣、友人代表 菅義偉
安倍元総理の死を悲しんだのは、菅さんだけではない
後の世でどのようにこの国葬儀が評価されるかは分かりません。
しかし、国葬儀当日は会場そばの献花台に2万人の人が列を作って彼の死を悼み、
地方の自民党県連でも、記帳に訪れた方がおられました。
テレビで取り上げているように、反対ばかりではない。
むしろ選挙で選ばれた代表だった安倍晋三という政治家が、
理不尽な理由で凶弾に倒れたことに
強い悲しみと、テロに対する強い憤りを感じている人もいっぱいいたんだと
このブログを通して、この事件を知らないであろう後世の人に強く訴えたいと思います。
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