この記事は昭和天皇の時代、園遊会で起こった珍問答を紹介します。
陛下にお話をするのは、出席者の中でも、特に顔を知られた有名人が「特別先導者」として選ばれます。事前に声をかけられることは伝えてあるのですが、その辺は話す相手が相手だけに、緊張のあまり面白いやり取りが飛び出すことも。
そんなわけで、今回はブログ主が厳選するエピソードをご紹介します。
予報的中!
1975(昭和50)年、秋の園遊会のこと。
この日は雨が降っていて、傘を差しての園遊会。
…間の悪いことに、こんな日に呼ばれたのが元・気象庁予報部長の日下部文雄さん。
「最近は、あまり予報はしないんでしょ?」と昭和天皇が問いかけると「はい。今日は当たりましたが…当たらない方が良かったですね」と天を仰いで苦笑い。
日下部さんの絶妙な回答に傘をプルプル震わせながら「ええ…そう」と陛下は笑いをかみ殺していた。
夫婦事情を陛下に報告、その1
園遊会の招待者は夫婦で参加すると、緊張のあまり夫婦の内情を開陳する珍事が良く起こった。
1974(昭和49)年、秋の園遊会では作家の三浦朱門、曽根綾子夫妻がそろって招待された。
おしどり夫婦として知られた2人に陛下は「どうです。このごろ色々やってるの?」と尋ねたら
「はい。夫婦で喧嘩をしながら書いてます」と三浦さんが答え、曽根さんも「ふふふ」と照れ笑い。
仲がいいばかりでは仕事がはかどらない。夫婦喧嘩が刺激になって、創作が進むと聞いて、陛下も思わずニッコリ。
夫婦事情を陛下に報告、その2
1979(昭和54)年、俳優の曾我廼家明蝶(そがのや めいちょう)さんが招かれた時の話
「劇はおもしろいですか?」という問いかけに「一生懸命にやらせてもらっています」と答えた明蝶さん。
陛下はついで、明蝶さんの奥さんで元タカラジェンヌの黒木ひかるさんに「いまでも劇をやっているの?」と声をかけたら
黒田さんは「いいえ、主人が手間がかかりますから…」と普段の亭主関白ぶりを大暴露。
明蝶さんは、普段の所業を陛下に告げ口されることになり冷汗をかきまくる。一方の奥さまはニッコリと微笑む姿に、
陛下もつられて「これからも内助の功で、しっかりやってください」とほほ笑んだ。
「柔道は骨が折れますか?」
園遊会エピソードのみならず、昭和天皇の珍場面として今でも語り草になっているのが、昭和57(1982)年の春の園遊会での話。
柔道の山下泰裕さんに「柔道は骨が折れますか?(柔道は大変ですか)」と尋ねた陛下。
ところが山下さんは緊張のあまり、試合でやったリアルな骨折だと勘違い。「2年前に骨折をしましたが、すっかり良くなりました」と珍回答を返し、会場は大爆笑。
でも、その実直さが好ましかったのか、陛下もニッコリとして応じた。
これ、昭和天皇記念館でもビデオ上映しているほどの人気映像だったりする。
陛下を「聞き役」に回らさせた黒柳徹子さん
「骨折問答」の山下泰裕さんの直後に声をかけられたのが、黒柳徹子さん。
フツー、陛下を前にすると口数が少なくなるもんだが、この方はやっぱり特別で自著「窓際のトットちゃん」の話を延々と語り続ける。
どれだけ売れたかとか、一から十まで早口で喋ろうとするから、陛下も「よく売れて」と珍しくまぜっかえし
さらに本の印税は福祉に寄付する…など昭和天皇の5倍(テキトー)は喋り続け、陛下に相槌を打たせ続けることに。
「質問に答える」人が圧倒的大多数になる招待者の中で、ほぼ唯一の例外となった。
「信子は一生懸命やってるよ」
これは、いつの園遊会かは不明だが麻生和子さん(麻生太郎元総理の母)が招かれたときのこと。
昭和天皇は彼女に「娘の信子は一生懸命やっているよ」と声をかけた。
信子さん…とは寬仁親王妃として皇族入りした和子さんの娘。麻生太郎元総理の妹に当たる。
16歳の時に寬仁親王に見初められたものの「まだ若い」とその時は和子さんたちは結婚を認めなかった。それでも2人は、その後も愛を育み8年後にゴールイン。
しかしフツーの家でも大変なのに、皇族に嫁ぐわけで…娘は大丈夫だろうか、皇室の方々にご迷惑をかけていないだろうかと親としては不安ばかり。
娘を持つ親は陛下とて同じ。だから和子さんに陛下は「大丈夫だよ、安心なさい」と意味を込めて声をかけたわけである。
…和子さんは、言葉もなく目頭に涙をうるませていたという。
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