「くだらない本を読む」時は本好きに化ける大チャンス〜親が読む本を決めてはいけない理由

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私は人から見たら、相当な本好きらしい。

大学時代は、往復1時間以上電車に乗るし、当時はスマホなんてなかったから1日最低一冊は読んでた。

あんまり本に溺れすぎて手元に読む本がなくなることが異常に怖くなり

読む本がなくならないように、神保町の古本屋で3冊100円の本をゲットして片っ端から読んだこともある。

社会人になった今でも、本屋を歩き回るのが好きで、

ある年に試しに一年でどんだけ読んだのか数えたら56冊だった。

日本では今でも、膨大な本が日々出版されている。

こんな自分だから世間は皆、

自分と同じくらいは読むと思っていたが、実は自分が超少数派だと気づいたのは社会人になってからだった。

私自身よく人に聞かれるのは「なんでそんなに本を読めるのか?」ということだった。

今日は、昔のことを一つ一つ整理しながら、「本好きの子どもの出来方」を考えたいと思う。

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私の本好きは「マネ」から始まった

ウチの両親は高卒で、すぐ就職して働いていた。

その割に本棚には文学全集とか親父が昔読んだ司馬遼太郎、海音寺潮五郎などがあった。

あとはビジネス書が多かったかな。

もちろん、私はそんな高尚なもんはいきなり読んでない。

親父の本棚から本を抜いて読み始めたのはもっと後。

親父が読んでいるのを隣で見ていたけど。

私自身人生初の読書?といったら

お袋の嫁入り道具、

料理のレシピ本を「美味しそうだなぁ」と眺めていた。料理のレシピ本ってちょっとオシャレな料理が多いから

キレイな写真に見惚れていたのかなぁ。

3歳くらいの頃の話でその本の巻末には人生初の私の書き込みがある。

母親の名前がヒラガナ(「よ」の字が左右逆だったりするけど)で書いてあり、日付が母親によって書かれているのを見て

後でふふふ…と思ったことがある。

お袋が記念に取ってあるが、それを見るたびに「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもんだと思う。

たとえまね事でも本は読むもの、という環境がまず、必要らしい。

小学校時代に読むのは下品なのばかり。でも親が無理強いしなかった

少年時代は、マンガに夢中になり

人並みに週刊少年ジャンプを読んでいた。

当時は『電影少女』や『タルるートくん』などのお色気系や、

『ジャングルの王者ターちゃん』『ついでにとんちんかん』などのお下品系も全盛だったが、

マンガを読むなと言われた経験はない。

中学になると、歴史物にハマって

親父の本棚から立川文庫の真田十勇士を読んでた。

大人の小説って思春期には秘事である「あれやこれや」が書かれてる。

当時の私としてはエッチなシーンがいっぱい出てきて鼻血が吹き出そうなほど、興奮したのを覚えている。

今でこそ、硬い本も結構読んでいるが、最初はエロい本か、ワクワクする英雄もの、ゲームやアニメがノベライズされたものを読んでた。

それもOK!「変な本を読んで!」と叱られたことはない。

読書に関しては随分、フリーダムだった。

大人向けの本を読む習慣付け

中学の時、うちは毎月3千円の小遣いがあった。ほとんどがゲームソフトやミニ四駆、マンガの類に消えていった。

前にも書いたが、それとは別に読売新聞の「編集手帳」を毎日書き写すと毎週別途500円ゲットできた。

新聞のコラムを書き写してたら、勉強しなくても好成績が取れた件
国語の勉強の仕方が分からないなら、毎日、新聞1面にあるコラムを写しなさい。私は中学校時代、これ以外まともに国語を勉強したことはありませんでしたが、ずーーーーっと学年トップクラスを張ってました。

さらに、親父の本屋通いに付き合うと、許可の出た本は買ってもらえた。吉川英治の三国志とか、柴田錬三郎の水滸伝とか。

元々、マンガやゲームソフトから興味を持ち始めた分野なのだが、マンガやゲームは特別な時なら別として、

本ならお金を出してくれた。

とにかくあの頃はせっかちで一冊あっという間に読み終えると次が気になって仕方がない。

結局、自分から親を誘って本屋に行ったり、

最後の方は「これの続きが買いたいから特別予算を!」と小説を見せてお小遣いをおねだりしたりした。

しかも、その原型はといったら、エログロ込みの雑多なもので、高尚な文学なんぞほとんどない

本好きは勝手に進歩する!

だが、本好きというのは面白いもので

いつまでも一つのところをウロウロするだけでなく、

勝手に自分の守備範囲を広げていく。

私の場合でも

大学時代に大藪春彦に耽溺してた時期があるが

今は全く手が伸びないし、

高校時代には当時人気だった落合信彦の本から、

オズワルト・シュペングラーの『西洋の没落』やギボンの『ローマ帝国衰亡史』などへ進む道が拓けた。

落合信彦そのものは

今読むと大分怪しい内容なんだけど歳を経るごとに様々なモノを読んでいくウチに

いつの間にか卒業してしまっていた。

面白く無くなって「離れていった」って感じかな。

まとめ

①〜④を順序立てて考えてると、

親のモノマネ→

知らない世界を制約されないで知る楽しさを感じる→

興味を持ったものを徹底的に追っかける

という形に落ち着くと思う。

最初の一冊がどんな内容であれ、

「本を読む」というのは慣れの一言に尽きる。

子供が大人から見て「くだらない」本を読んでいたとしても、心配はいらないだろうな、とは思う。

ホントに「くだらなければ」いずれ飽きるし

「くだらなくなければ」万々歳!

子どもが夢中になって読んでいるのを「読むな!」止めるのは、やめておいた方がいいと思う。

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