しばらくぶりに『日本のスゴイ人列伝』を書いてみようと思います。
今回は、コメディアンの小松政夫さんが植木等さん付き人をしていた時代のお話。
今の時代だと「ブラックな環境」「プライバシーのない関係」となっちゃうのかなぁ…でも、この関係はとてもそんな風には見えない。
だって、小松さん本人が実に懐かしそうに、楽しそうに語ってたんだもの。
昔、伊集院光さんの「日曜日の秘密基地」というラジオ番組に、コメディアンの小松政夫さんがゲストとして出演されたことがありました。
話題を引き出す名人、伊集院光さんのクイズ(昔の雑誌や、インタビューにある内容をご本人に答えてもらい、話を広げる)を交え、伊集院光さんの話術が冴え渡ってましたね。
そしてトークの面白さもさることながら、師匠の植木等とのエピソードがとにかく楽しくて、一発でファンになりました。
録音で何回か聞いていたのですが、音源を無くしてしまい、残念に思ってたところ、何気なくネット検索したら小松さんが自伝的なエッセイを出版していたとのこと。
…いやぁ、面白くてあっという間に読了しました。
親子みたいな師弟関係
インタビューでも言っていたのですが、小松さんは
植木等の付き人兼運転手募集。やる気があるなら、めんどうみるョ〜
という週刊誌の三行広告を見て、横浜トヨペットのセールスマンから付き人兼運転手に志願したそうです。
当時小松さんは、同社のトップセールスマン。当時で月20万円(今だとざっと、300万円!!)を稼ぐ凄腕でした。
しかし、芸能界を目指してあえてこの世界に飛び込み…600人(!)の応募者の中から採用されて、植木さんの弟子になりました。
最初会った時に、「(小松さんが植木さんを)どう呼ぶか?」が話題になり
「オヤジさん」という呼びかたをしていいか、と尋ねたそうです。
(ちなみに植木さんは1927年生まれ、小松さんが1942年生まれ。つまり2人は15歳差です)
すると「いいね。君はお父さんを早くに亡くしたそうだね。私を父親だと思えばいいよ」と声をかけてくれたそうです。
当時の植木等さんは時代の寵児と言ってもいいくらいの、超売れっ子!
3年と10ヶ月余りの付き人生活は目の回る忙しさ(1週間で睡眠時間10時間!)で月7千円(今の価値だと10万5千円!)の給料。
でも、全然苦にならなかったそうです。
スーパー付き人、小松政夫
セールスマン時代から、人に対するサービス精神を磨き上げてきただけに「親父さん」に対する小松さんの仕事は、実に気配りの行き届いた、徹底したものでした。
植木さんには、1日1回必ず喜んでもらおう、をモットーに…
愛煙家の師匠に美味しくタバコを吸ってもらおうと、タバコにブランデーを振りかけ、チューインガムと一緒にして香りを移す、てなことから始まり…
超多忙な中、休める時には1時間でも気持ちよく休んでいただけるように暗い部屋を用意しておこう、お休みの時に咳をしたら喉の具合が悪いのかも、とそっとお冷を差し入れる。
師匠がゴルフに行く際に運転手をした時は、「休んでていいよ」と言われてもラウンドが終わるまでに車をピカピカに磨き上げて待ち「新車みたいだなぁ」と親父さんを喜ばせる。
親孝行みたいですよね。大好きな師匠に喜んでもらおうと、心から尽くす小松さんがいいんです。
また、植木等さんも売れっ子なのに全然威張らない、優しい人。
身も心も尽くしてくれる小松さんが、かわいくて仕方がなかったと思います。
ご飯がちゃんと食べられていないようだと、自分が食べるふりをして注文し、「おい、ちょっと手伝ってくれ」とご馳走したり、
車内の雑談で、小松さんから面白い話を聞けばプロデューサーに「コイツの話面白いんだよ」と売り込みをかけてくれ、その次の収録から出番を作ってもらえるようにしたり
芸名を決める時には「ふざけた名前はダメだ。売れた時のことを考えて、しっかりとした芸名を付けなさい」とアドバイス。
明日からもう、来ないでいいよ。
そんな付き人生活は、ある日突然終わります。
いつものように運転手を務めていると、植木さんが「もう明日からこなくていいよ。事務所の社長と『小松を事務所のタレントとして契約しては?』と相談したら、話はまとまったから。明日は事務所にハンコもって行きなさい」と話してくれたそうです。
…親父さんの粋なはからいに、小松さん大号泣。
…と、ここまではイイ話なんですが、この話にはオチがありまして…
なんと、植木さんはウッカリ給料(当時タレントの給料制は相当珍しいのですが)を
植木さん本人が仕事を始めた時と「同じ額」に設定してしまったとのこと。
今だったら「何?」と思うでしょうが、当時は日本の物価が一番勢いよく上がった時代なんで、
「その額じゃ生活できないよ~、となり困った」と小松さんは苦笑していました。
終生続いた「師弟関係」
独立後小松さんは、伊東四朗さんとの掛け合いでお茶の間の人気者に駆け上がりますが、
師弟関係って一生モノでどんなに月日が経とうと、離れていようとも切れる事ってないんですよ。私もちょっと経験があるんですけど。
小松さんも例外ではなく、その後事務所を離れる際にも、植木さんは「小松の邪魔をするな」と事務所に釘を差し、独立を応援したり、
「君が座長になったら、必ずお前の舞台に出演するから」と約束して、実際その約束を果たしてくれたりもしたそうです。
また、小松さんの愛息が植木等さんの舞台に立つ、という時は
出演者や裏方まで集めて、小松さんの息子を紹介し「小松の息子をどうぞよろしく」とわざわざ挨拶された時には、その心配りでまた号泣しちゃったとのこと。
植木さんが2007年に逝去されたときも、
クレイジーキャッツの仲間たちと一緒に小松さんも「親父さん」の棺を担ぎました。
濃密なのが疎まれるのも、現代なのかなぁ…
そんな経験を積んだ小松さんだから、この3年10か月の日々は本当に「宝物のような」月日だったのでしょう。
私も、ラジオなどで出演するたびに懐かしく、楽しそうに語る小松さんを何度も耳にしています。
…ただ、時代が変わっちゃった、ということでしょうか。
若い世代の芸人に語ると「へぇ、煩わしかったでしょうね」「難儀でしたね」と懐かしき充実の日々が、逆に苦労話に受け取られるそうです。
小松さんは、それが悔しくて仕方がないらしい。
確かに「1週間で睡眠10時間」「給料は30分の1」とか、環境で考えればそうでしょうが、稀代のエンターテイナーに弟子入りし、夢中になって師匠と駆け抜けた日々を懐かしそうに語る小松さんを見てるとちょっと羨ましくなる。
そんな気持ちを持ってしまう、私もまた、古い人間なんですかねぇ…。
日本のスゴイ人列伝、まだまだ行きます!バックナンバーはコチラから!
【参考図書】
最後まで読んでいただきありがとうございます。この記事が面白かったらTwitterリツイートやシェアボタンでの応援よろしくお願いいたします。
コメント