今さら人に聞けない『教育勅語』を考える

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この記事は、明治天皇が明治23(1890)年10月30日に下された『教育ニ関スル勅語』(以後教育勅語)に関して書いていきます。

この教育勅語なんですが、蛇蝎のごとく嫌いという人がいる一方、現代にも通じるものを持っていると評価する人もいるといった、両極端な議論になりやすい。

私は、まずは現代訳を提示し、この勅語が下された経緯や自分なりの感想を書いたうえで読者に「判断を任せる」という方法を取ってみたいと思っています。

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まずは現代語訳を

こういう時に、まずは原文に当たってしまうと、難しくて読みにくいという人もいるとおもうので、現代語訳を引用してみます。原典はこちらから引用させていただきました。

私の思い起こすことには、我が皇室の祖先 たちが国を御始めになったのは遙か遠き昔のことで、そこに御築きになった徳は深く厚きものでした。

我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、世々にわたってその美をなしていきましたが、これこそ我が国体の誉れであり、教育の根本もまたその中にあります。

あなた方臣民よ、

父母に孝行し、

兄弟仲良くし、

夫婦は調和よく協力しあい、

友人は互いに信じ合い、

慎み深く行動し、

皆に博愛の手を広げ、

学問を学び手に職を付け、

知能を啓発し徳と才能を磨き上げ、

世のため人のため進んで尽くし、

いつも憲法を重んじ法律に従い、

もし非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え、

このようにして天下に比類なき皇国の繁栄に尽くしていくべきです。

これらは、ただあなた方が我が忠実で良き臣民であるというだけのことではなく、あなた方の祖先の遺(のこ)した良き伝統を反映していくものでもあります。

このような道は実に、我が皇室の祖先の御遺(のこ)しになった教訓であり、子孫臣民の共に守らねばならないもので、昔も今も変わらず、国内だけでなく外国においても間違いなき道です。

私はあなた方臣民と共にこれらを心に銘記し守っていきますし、皆一致してその徳の道を歩んでいくことを希(こいねが)っています。

教育勅語はなぜ、書かれたかをざっくり説明する

文章を読み解く場合、書かれた時代がどういう状況だったかをまず把握することが大事です。

さて、この教育勅語が誕生したのは、先述のように明治23年10月30日。この時期に大日本帝国憲法が発布され、第一回帝国議会が招集されました。

ところで、憲法、議会というのは様々な国の制度を比較検討しています。

またそれ以前から西洋からの技術やシステムの導入なども続き、人材育成のための学校も作られるようになりました。

で、ここで問題になっていたのは「基本的な道徳って、どうする?」という話。

ここは日本ですから、昔っからある道徳の徳目がある一方、西洋の合理主義や啓蒙思想なんかも入って混在してきた。

そうすると「昔の道徳は古臭い、時代は西洋だ」って運動も盛り上がって、果ては何でも西洋バンザイ!という人も出てくる。その逆で「あんまり西洋を猿真似するのは良くない。昔からの忠孝を大事にしようぜ!!」という立場を堅持する人も出てくる

で、これら両者があーでもない、こーでもないとやっている間、地方から政府には「では、どう教えたらいいんでしょう?」という問い合わせが殺到。

で、「これまでは欧米列強に追いつくために技術とか、学問を導入するってだけだったけど、学んだ学問を日本人としてどう生かすか、という心構えが欠けていたよね」という話になり

この国が憲法を作り、議会という舞台装置を整えた。では、その議会に集まる人たちはどういう心がけが必要か?という問題も急浮上したわけです。

「日本国民の意識」をどうやって持ってもらうか?

政府の出した答えは、日本に古くから伝わる道徳を改めて確認し、国民国家としての定義づけを加えてアップデートする、というものでした。

もともとの君臣の関係は儒教にありますが、これはあくまで狭い範囲での関係を述べていて

広く一般国民と君主という関係は「政治は民には難しすぎて理解できない(由らしむべし知らしむべからず)」というように、従来の儒学では蚊帳の外みたいな発想があります。

また、民の側でも戦国時代なら殿様が滅びても、別の殿様に年貢を納めるだけだし…くらいの距離感しかない。

そして、大事なのはこれより23年前には日本人はいませんでしたから。日本人としてどうすればいいか、なんて急に聞かれても途方に暮れてしまうでしょう。

そんな人たちを納得させて、税金を払ってもらったり、徴兵制なんかを敷いていくわけです。日本の中の人間が全員がてんでばらばらにやっていたら「近代国家」はやっていけないわけです。

そこで、まずは誰でも分かる「これまでの自分たちやご先祖様」や「大事なこと」を引き続き重視し、そのつながりが営々と国を作っていたと示しました。

ここで、君臣という軸と、民の軸を、「日本国民」という軸に統合させた、と考えています。

そして、延長線上で「もし非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え」ることを求めたわけです。

この「公のため勇敢に仕える」という場所を作家の高橋源一郎さんは

いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください

と、あたかも戦争だけにしか適用されないような書き方をしている。

しかし、はっきり書いてるのは高橋さん。これは訳が飛躍しすぎ。非常事態は戦争だけではないんだよね。

例えば、2011年の福島第一原子力発電所の事故なんかをイメージしてもらうと分かると思うんだけど

あそこで現場の収拾に尽力した「フクシマ50」なんかがそれに当たると思いますよ

自分の命が惜しいなら降りられるんだけど、それをやると「みんなにとって大変なことになるから」取り組む…ということにニュアンスが近いと思うのです。

ただ、戦争中だと、最も近いところに非常事態である「戦争」であったために、その部分が非常に強調されているという問題もあるだろう、と考えています。

感想として…教育勅語の趣旨は賛同できるが…

以上、とりとめのない文章を書いてしまったわけですが、私としては「教育勅語」の精神は非常にまっとうであることは理解するものの、

「あまりに抽象的過ぎて、悪用されてしまった部分も否定できない」というジレンマに悩まされます。

ただ、先ほど福島第一原発の例を挙げたことでもお分かりいただけると思うのですが、人によっては「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」る場面に出くわすこともあるだろうな、と。

教育勅語は昭和23(1948)年に廃止されたのですが、「日本国民」を作ったという意味では結構重大な役割を持っていて、そこは無視できないだろ?という歴史的な意義を見出すのが、今の私の考えではあるんです。

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