以前ラジオ番組で、プロ野球史家の山室寛之さんがゲストで出演して、興味深い話をされていました。
そこで紹介されていた『1988年のパ・リーグ』が興味を引いたので購入して読んでみました。
1988年…もう33年前の話です。
私のイメージする、当時の雰囲気
昭和63年。当時の事件を挙げるだけで、あの頃の空気を思い出します。
昭和天皇が体調を崩し、63年続いた昭和がついに終わるか!?となり、
陛下の血圧や脈拍が毎日ニュースにテロップで流されました。
そんな中、日産セフィーロのCMで「お元気ですか?」と井上陽水が話すのが不謹慎だと、セリフを消されたなんてこともありました。
後年、巨大汚職事件として大騒ぎになるリクルート事件が世間で囁かれたころ。
一方経済はバブルが弾けるまえで日本は絶好調でした。
遊び呆けていても、大学生であれば誰でも楽勝で内定ゲットし、誰もが日本の繁栄を疑いませんでした。
そんな空気を日常にしていたこともあるんでしょうね。
私自身は将来面白おかしい毎日だろうと勝手に思い描き、未来に何の憂いも感じなかった小学生でした。
老舗球団、南海ホークス、阪急ブレーブスの身売り
この年、パ・リーグに激震が走りました。
南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)と阪急ブレーブス(現オリックスバファローズ)の身売りです。
どちらも、関西の私鉄を親会社に、
黎明期の頃からプロ野球を支えてきた超老舗球団でした。しかし、この2球団…その経緯が極めて対局的でした。
南海が野村克也監督解任騒動が起こる1970年代後半から長期低迷を続けて、10年Bクラスに甘んじ続けた、その上での身売りに対して、
阪急は地味ではあっても手堅い強さを常に保持していたことです。
赤字は出ていたとしても阪急ブレーブスが消滅することなど、考えた人はいなかったのではないでしょうか。
人間の死因にたとえると、南海は誰がみても終わりが見えている老衰なのに対し、
阪急は、働き盛りがいきなり倒れてそのまま息を引き取るような突然死と言えるかも知れません。
南海ホークス…三者の利害が一致し新球団誕生
南海ホークスの本拠地は、大阪市難波の大阪球場(現なんばパークス)でした。
野村克也、杉浦忠、門田博光…と数多の名選手を擁した強豪も、1980年代は精彩を欠き、Bクラスに甘んじ続けました。
そして、本拠地のある難波は1994年に関西国際空港(関空)の開港を控え、その玄関口として再開発が予定されていました。
そうすると球団としては、大阪球場とは別の場所に新たな新球場を建設しなければなりません。
しかし、その代替地の手当もままならない状況でした。
球団譲渡は以前から話題になっていましたが、
頑なに身売りを否定してきた1988年4月に前オーナーの川勝傳さんが死去。ことは動き始めます。
機を同じくして、当時流通業界の巨人、ダイエーがプロ野球球団を持ちたいと動き始めていました。
プロ球団は日々社名を連呼してくれるから、広告効果があるということです。
また、それ以前から福岡では、プロ野球球団の誘致に積極的でした。
福岡はかつて西鉄ライオンズの本拠地。
太平洋クラブ→クラウンライターと球団名を変えて、最終的に西武グループが買収し、所沢に移転しました。
いわば「嫁に逃げられた」経験を持ったことで、失った球団を再び誘致したい、という動きが出てきたのです。
1986年にかつて西鉄ライオンズの投手だった稲尾和久さんが、地元青年会議所の講演で、福岡に球団を誘致するためには、地元の支援が必要だと訴えました。
これがかつて稲尾投手の活躍に心躍らせた野球少年たちの心に火をつけ、始まった誘致運動です。
ダイエー側にとっても、ビジネスで殴りこみをかけた福岡が喉から手がでるほど欲しがっているプロ野球球団を持ってくれば、
ダイエーに対する意識も変わってくる、という意識も働いたでしょう。
しかしこの交渉がすっぱ抜かれ、すったもんだの大騒動に。
南海もダイエーも、この交渉を流産させないように、
三味線を弾きながら徐々に周りを固めていきました。
1988年9月14日に球団譲渡が決定。
9月21日、福岡ダイエーホークスの誕生が発表されました。
阪急ブレーブス…ボトムアップで話が進んだ身売り劇
一方の阪急ブレーブスはというと、それほど切迫した事情があったわけではなかったようです。
ただ、阪急グループには宝塚というもう1つの広告塔もあるし、
「看板は2つもいらないんじゃね?」
という意識はあったみたいです。
阪急としては「球団譲渡が出来るだけ目立たないこと」に特に注意を払っていた様子で、
南海ホークスの身売り報道が始まってから徐々に加速をつけていきました。
下っ端同士の立ち話からそれを聞きつけたオリエント・リース(現オリックス)が取引銀行を通じて買収を打診。
目的は、ダイエーと同じPR効果を狙ったようです。新社名「オリックス」を球団に冠することです。
その交渉は極秘裏に行われ、阪急側もオリックス側も担当者だけが知るという徹底したものだったそうです。
彼らの関心は、ホークスの買収劇の裏側で目立たないように、同シーズン中に球団譲渡を成し遂げること。
ところが、この年は夏の天候不順で試合が後ろにドンドンずれ込み、
さらに当時全盛期の西武ライオンズを
近鉄バファローズが追いかけるという稀に見るデッドヒートが繰り広げられることになりました。
熱を帯びるパ・リーグの優勝争いに冷や水をかけないように
発表のタイミングを狙いすまし、ロッテ・近鉄のダブルヘッダーの合間、10月19日の午後5時に球団譲渡を発表しました。
ちなみにブレーブスを指揮する上田利治監督には、2日前に告げられたとのこと。
あまりの突然さに上田監督は言葉を失ったそうです。
日本中を釘付けにしたあの激闘に隠れる形になり、阪急側は当初の目的を達成したと言えると思います。
複雑だから、生々しく面白い
この本を読んでいると、人が何かを成し遂げようとする時は、常に他者の動きが絡んでくるということをシミジミ感じます。
阪急はあくまでも他球団の譲渡に追随する形で手放したかった、という思惑があったため、
もし南海が身売りをしなければ、このような具体的な行動をしたのか?と思います。
また、福岡への球団移転、ダイエーの球団買収に関しても、当初はロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)を狙っていました。
その時の決断が違っていたら、
現在の形は大分私たちが見ている今のプロ野球とは違った形になったことは間違いありません。
40年ちょっと生きてて、自分の思った通りにコトが運ぶことなんて、生きててほとんどない。
10月19日のロッテ対近鉄ダブルヘッダーにしても、対戦監督同士のちょっとした行き違いで、試合の空気が変わり、結果近鉄は優勝を逃したわけです。
この本はビジネスとスポーツの試合という一見別の事象が人智を超えてうねり、多くの人の思惑を練り込みながら新しい局面を描き出す姿を克明に記録しています。
だから、読んですごく面白かった。
おススメしたいと思います。
ちなみに、大阪球場の跡地に立つ「なんばパークス」には、南海ホークスのメモリアルがありますが、野村克也さんは4番にして、三冠王、選手兼任監督と活躍したにもかかわらず、ずーーっと黒歴史扱いでした。
2021年にはそれも解消され、なんばパークスに「野村克也」が帰ってきました。
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