私、Twitterも遊びでやっておりますが、昔読んだ本で、田中角栄がスピーチした
「羊かんの切り方に例えた、共産主義と資本主義の違い」をつぶやいたところ、
田中角栄というと好きなスピーチがあって
「羊羹を切って子供に渡すのに、一つ一つ定規を当てて切ったりはしないでしょ?
…チョンチョンと人数分切って、大きめなのは小さい子にあげる。
コレが民主主義なのであります」
— とーちゃん(さん付け不要) (@knightma310) July 4, 2022
3.3万イイねという、私の投稿でもトップクラスにバズってしまい、
挙句、Twitterまとめサイトにまで掲載される珍事が発生したことがあります。
で、このツイートで「アレはどこから引っ張ったのか?」という疑問も寄せられ、
「あれ?そういえばどこからだっけ?」と自分でも首をひねることに。
そこで、今持っている、故早坂茂三氏(田中角栄の元秘書)の著作から、全部ひっくり返して読んだのですが、「これ」というモノが見当たらず、
謎だけが残る、ということになっていました。
このツイートが功を奏したのか?羊かんの話はアチコチで使われることになったのですが、
最初に振り出した?私としては「あれは、どんな人に、どんな文脈で語ったのか?」ということが気になって仕方がなくなったんです。
ただ、こういう案件は、ひょんなことからハッキリわかるケースがあったりします。
先日、このツイートを忘れかけてた時に買った、この本に、このスピーチについての解説がありました。
羊かんスピーチの全体
この本によると、スピーチを行ったのは昭和57年2月、
早稲田大学人物研究会という、著名な人物を招いて講演を聞く早稲田大学の学生たちの前で
行われたスピーチだと分かりました。
以後は、同著から引用します。
資本主義と社会主義における羊羹の分け方
「君たちね、自分の置かれている立場をね、ありがてェことだと思わんとダメですよ。
寝言を言ったり、不満言ってる奴ね、人生死ぬまで不満を抱き続ける人間になるぞ。
社会が悪い、政治が悪い、田中が悪い、なんて言って、テメエ、何があるんだ。
人に貢献できるようになって言えよ。
わしが言うんじゃないですよ、これ。
人間てェもんはね、そりゃ恋もすりゃ妻ももらう。妻をもらやァ子供もできる。子供ができりゃ、学校にもやらねばならん。
(子供を)大学に入れるかどうか、そんなことを考えておったら恋もできない。断じてやるんじゃ。
子供が10人おるから羊羹を均等に切る。 そんな社会主義や共産主義みたいなバカなこと言わん。
君、自由主義は別なんだよ。(羊羹を)チョンチョンと切ってね、一番ちっちゃい奴にね、一番デッカイ羊羹をやるわけ。
そこが違う。分配のやり方が違うんだ。
大きな奴には”少しぐらいガマンしろ”と言えるけどね、生まれて3、4歳のはおさまらんよ。
そうでしょう。それが自由経済ッ」
聞いていた学生の一人の感想は、
「誠心誠意を感じた。これまでに会ったどんな人より、気品がありました」というものであった。
(同著107~108ページ)
全体で眺めたら大分印象が変わった件
とまぁ、おそらく長いスピーチの中から
一節引っ張り出しただけと思われるけど、いつ、誰を相手にスピーチしたのかは分かりました。
大学生、といえば当時は学生運動なんて過去の話になりつつあり
この世の春を謳歌する時代でした。
田中角栄は、そんな楽しいキャンパスライフを送る人間に対し、苦言を呈しつつ
『(子どもを)大学に入れるかどうか、そんなことを考えておったら恋もできない。断じてやるんじゃ。』
と積極的に人生にチャレンジすることを訴えます。
その上で「出来ることからやる」話のたとえとして10人の子どもに羊かんを切って与える話になるという流れのようでした。
この流れだと、単純に資本主義、共産主義の対比とも取れなくはないのですが
限られた経済力で子どもをどう、育てるかという親の頑張りにフォーカスしたようにも見える
例えば、私の家庭ですと、割と学校の成績はいいけど生きるのが下手くそそうな長男(私)
には、きっちり勉強して堅いところに就職させようと
私立のお高い進学校→明治大学に入学させる一方で
割と学業はチャランポランだけど、なぜか人に愛される資質を持った弟には、地元の公立高校→ムリなく入れる地元の私立大学に進ませて
ノビノビやらせる、といった具合に。
こういう場合って、やっぱり二人にかける予算は「定規で測ったように」イーブンにはならないけど
これが、田中角栄流の「羊かんをチョンチョンと切って」のような考え方に近いんじゃないかなぁと改めて感じたわけです。
スピーチの上手さを田中角栄に学べる一冊
それにしても、です。
この本、ホントに面白い。
田中角栄というと、まず金権政治の権化というイメージが生前ついて回った人ですが、
人の心をつかんで離さないスピーチの上手さを政治ジャーナリストの小林吉弥さんが
自分を上手に悪役にして、相手を立てたり
「お国言葉」を上手に混ぜて、相手の親近感を増したりするテクニックを実際のスピーチから分析しています。
そして、ご丁寧に用途別のスピーチの仕方を収録し、その要諦を解説しているので
TPOに分けた、話し方のテクニックが楽しみながら学べる一冊になっています。
最後に、この本で面白いなと44歳が思ったのはもう一つあって、
2003年に出版されたこの本は、田中真紀子さんのことも書いてあります。
真紀子さんは一時期、政界で歯に衣着せない毒舌で
人気を得た時期(この本の出版の頃)もありましたが、現在では政界も引退し、父親の残した強力な支持基盤も崩壊
すっかり「過去の人」になっています。
この本の中で、田中角栄を語る上で、小手先のスピーチの上手さだけでなく、
普段からたゆまぬ努力を重ねて「誠心誠意」仕事をしてきた角栄氏だからさらにスピーチの威力が増したことが書かれています。
一方で娘さんは「人をくさして、喝さいを浴びる」ことは上手でしたが
そこには父親と違って、相手に対する思いやりが存在しなかったように感じます。
過去の本を読むときに、著者でも分からなかったその後を読者が答え合わせすることになる、ってことが割と多いのですが、
そういう「似た者親子に見えた二人の決定的に違う点」までが読み取れたのは、大収穫だったかな、と本を読んで感じました。
【田中角栄の好きな方にお勧めの本】
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コメント
経歴から見た角栄氏が総理大臣になった時、素晴らしいと思いました。当時は余り政治に疎く、直感的に期待と希望をもったものです。我が家も『羊羹説法」でした。一家の長として或いは国の長として、弱者に目を向けられる方だったのですね。しかし今思うに、世界の闇のシステムには抗することは許されない事、知りました。今の日本の状況を、角栄氏はどう「憂い」されるでしょう。