今朝、職業訓練の書類を書きに、図書館の学習スペースに足を運んでみた。
手が止まったのが「キャリアプランシート」。47にもなってちょっと恥ずかしいのだが、ワイ、文章を書くことしかできんのだ。
これ、どうやって棚卸しするかなぁ…そんなことにちょっと頭を抱えている。
ところで、小学校の時はスッゲー楽だったよなぁ。あれやれ、これやれを「はい」で終わりにできたから。
そんなことを思い出したのは、キャリアプランを考えたからではなくって、このマンガを読んだからだった。
私はわりと、学校にはさっさと順応していたなぁと思っていた。
ちょっと変なところがあるとしたら、自由時間に校庭でなくって、図書室に行って、本読んで勝手にワクワクしてたくらいである。
ただ、この主人公、棚橋正知君はもうちょっとキツめの小中生活だったようで…
彼は、いわゆる不登校である。
それも、最初の先生ガチャに思いっきり失敗してしまったようで、今だったら教師クビにされそうな暴力沙汰(今の時代、キレて児童にビンタくらわせたら一発処分でしょうよ)に遭い
そこで、ボタンをかけ間違えて苦しむことになったようだ。
このマンガでは、マンガを描くこと以外は中々前向きな方向に足が向かない
というよりか、最初の経験が尾を引いて、自分と他の児童とのズレがどんどん大きくなって、そんな自分が「フツー」じゃないと思うようになって、
それで、苦しくなってしまっていたようだ。
これ読んでいて、私も昔の記憶を掘り起こすような出来事があったりして、
古傷がうずくような気持ちになるんだが…だんだん「あるある」的な要素に変わってくるから不思議である。
○○君とケンカした時は…××先生に叱られて、にっちもさっちも行かなくなった時は…とか結構思い出したね。全然順調じゃなかった小中学校生活が。
もちろん本作の出来事ほどには「決定的に」作用しなかったものの、今のふてぶてしさとは全然違う、繊細で未熟な自分の忘れかけてた思い出が、まぁ出てくる出てくる。
オトナになった自分の目から見ると、この棚橋君を助けるようでいて、利用している「ズルい大人」もチラホラ出てくる。
…いるんだよなぁ、こういう人。自分勝手な「人助け」に酔って、勝手に突っ走る善意の暴走族。
このマンガでは、その暴走が割といい方に向かってくれたからいいようなものの
実際だと、話を逆に拗らせやしないかなぁ、と読んでいてハラハラしてしまった。
ただ、このマンガを読んでいて、強く共感できる部分がひとつあった。
それは、あとがきにも書かれているけれど「良い出来事も悪い出来事も、すべて今の自分へと繋がっていること」で
そこに、フツーであることを求める必要はない、ということ。
結局、フツーというものは「誰もできてない」きわめて曖昧模糊な平均値。
ひとりとして存在しない、そんなフツーを求めたって苦しいばかりである。
一人ひとりが今ある問題に直面して、どうにかしようと悩んでもがいている。
いいことも悪いことも当然起こって、だけどそれを思い出して苦しんだり、後を引く必要もなくって
まあ、とりあえず「ジタバタしてみる」のが人生だったりするんですよね。その辺が人それぞれにちがってるのは、まぁ当然で…
だけど、小学生の段階でここまで私は考えなかった。30代くらいになってからかなぁ、こういう事を悩むようになったのって。
そう言う意味で、主人公(≒作者)は大変だったなぁと思いますよ。
大人にとっても結構な難物を、ここで抱えたんだからと。
そして、今このマンガを描いているっていうのは、自分の中での位置づけが収まったということで…そりゃすごい、というしかない。
それで、オトナになってからの後付けでなく、子どもの心でどう考えていたかまで、内容が丁寧に描かれていて
そこが非常に面白くもあり、古傷がうずくような生々しさもあり、それが読めて非常に面白かったです。
私は家族がいないけど、子どもを持つ親御さんは読んでみたらいいかもしれない。順調にいっているという親御さんでも、何かしら感じる所はあると思うんです。
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