聞き取りだから読みやすい『母宮 貞明皇后とその時代』

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本日は、振替休日。

といっても、性格なんだかゆっくり体を休めるなんて気にもとてもなれないので、図書館から借りてきた工藤美代子さんの『母宮 貞明皇后とその時代』を読み進めています。

いきなり、貞明皇后(1884~1951)と言ってピンとくる人はあまりいないと思うのですが

昭和天皇のお母さま、すなわち大正天皇のお后さまです。

夫である大正天皇が崩御された後、20年以上生きられたお方で、皇太后となってからも、秋山徳蔵さんのエッセイや、様々な人が語る皇室関連のエピソードにチラリチラリとその名前が出てくる。

それでまぁ、気になっていたので読み始めた次第です。

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息子の昭和天皇をバックアップした「気丈な母」

貞明皇后の夫である大正天皇は、47歳で崩御されました。

今考えると、相当若くして亡くなられています。

貞明皇后自身は42歳の時で、まだまだどころか現役バリバリで動けるお年でした。

践祚した皇太子、後の昭和天皇は25歳。立派な人柄だし、その数年前から摂政として政務を行っていた息子を

バックアップするように、貞明皇后も力を尽くしています。

昭和26年に崩御されますが、それまではほとんど大病もなさらず

亡くなるその日も皇居の勤労奉仕団にご会釈(ごあいさつ)をしようと準備していたくらい元気で

突然、狭心症の発作を起こして、そのまま亡くなるという唐突ぶりで

息子である昭和天皇も一報をうけて、絶句したといいます。

このお方の凄いところは「人に対する気配りが半端ない」こと。

息子秩父宮の結婚相手には、明治維新で「朝敵」とされた松平容保の孫、節子(のちに勢津子と改名)を選ぶ一方、

結婚後も「分からないことは何でも教えてあげるから」とフォローを欠かさなかったそうです。

また、先代の正憲皇太后が始められたご養蚕や慈善事業をさらに力強く推し進めました。

皇居内の紅葉山ご養蚕所は、貞明皇后から始まり、昭和天皇妃の香淳皇后、そして上皇后陛下、さらに今上と受け継がれています。

上皇后陛下までは、確か皇后陛下がメインで取り組まれていたと記憶していますが

最近のニュースでは、天皇皇后両陛下と愛子内親王が、ご養蚕を行っている様子も報道されて、

ああ、家族ぐるみで取り組むのも時代の流れなのかなぁと感じました。

また、ハンセン病患者やへき地で働く灯台守に対する福祉活動にも熱心に取り組んでいて、身分にかかわらず国母として、熱心に取り組む姿を読むと

改めて、畏敬の念を感じちゃいますね。

夫・大正天皇に仕えるような

夫である大正天皇の死後、どんな毎日を過ごしていたのかもすごく興味深いです。

大正天皇の肖像画のある部屋で午前中を過ごされた、と。

その様子も詳しく書いてあります。

(三笠宮)殿下 特に大正天皇が崩御になってからはご質素でした。

妃殿下 そうですね、皇太后陛下におなりあそばしてからでしょうけれども。

絶対に紫か黒以外の色は召されませんでした。

それで、御影殿という拝殿が造られてからは、

毎朝そこで大正天皇様がいますがごとく

お坐りになったままご礼拝を欠かされなかったわけです。

そこにはさっきちょっと申しましたが、 入江爲守が謹写した御肖像画がお納めされていまし

て、大宮様はそこにお昼くらいまでお籠りになられるんです。

―御影殿に妃殿下がおいでになられることは。

妃殿下 ええ、うかがいますとまずお辞儀をね。お部屋は廊下続きで。

三方お障子で、その一方のところが壁になっていて御肖像画が掛かっていましたね。

入るときにはお障子を坐ったままこう開けて、全部立ってはいけないんですの、

そのお部屋では膝をついたまま前へ動きます。

それでお辞儀をして、向きを変えてから大宮様にお辞儀をしてそれから退出するので、初めはなかなかうまくいきませんでした。膝行と申しますね。

殿下 何かこう回り縁があって四角い部屋だったような気がしますが、わりと小さくて四畳半くらいなような。(p.88〜89)

三笠宮殿下の双子説をバッサリ否定

あと私、そんな話もあったっけな、と思って読んだのが…

大正天皇第4皇子だった三笠宮には双子がいたという話。むかーし、そんな記事を読んだなという程度の認識だったのですが、

この本を読むと、やっぱり皇族でも「放置はできない話」だったようで、これに関してはキッパリ否定されています。

それも、ただ否定するだけでなく、三笠宮殿下ご誕生の際の記録までキチンと調べたうえで

精査したうえでの否定なので、これはもう間違いないレベルですね。

また、同著には「双子」とされた女性のインタビュー記事(双子説を出したライターの記事)があるんですが、

ここでも、その方がキッパリ否定している。

まぁ、ライターがそういう話を「ますます怪しい」と勝手にこじつけている様子が見え見えで

この2者の内容を読み比べたら「双子説はお話にならないレベルのデマ」だとはっきり分かりました。

おそらく、こんな経緯が忘れ去られると、

またネットでこの話が持ち出されそうなんで、その時はこの本を読んでください、とは思います。

三笠宮殿下は軍に入れたくなかった

この本を読んでいて驚いたのが、どうも

貞明皇后は4男の三笠宮殿下を軍隊に入れないで、大学に行かせたかったということが書いてあって驚きました。

明治43年に公布された「皇族身位令」では皇族男子は陸海軍のどちらかに進むように、という決まりになっているからです。

三笠宮ご自身が「時代の変わり目で、母と私がNOと言ったら、通ったかもしれない」とは書かれていたので、当時でも時代遅れな面があったということでしょうか

まぁ、戦後に古代オリエント史で大学の教壇にも上がられた三笠宮殿下ですから、結局進むべき道に行ったといえるんでしょうね。

話し言葉で書かれているから、とにかく読みやすい

この本のありがたいのは、三笠宮両殿下へのインタビューを文字起こしして収録されているので、

読むのに負担をあまり感じないことです。

また、解説もしっかり付いているので、当時の情勢や立場が把握しやすいのもいいです。

この本を読んで感じるのは、天皇の崩御で皇太后になってからも、

大宮さま(生前の呼び名)は楽隠居なんかしないで、全力で仕事をなさっていたこと。

そのことは皇室の歴史と不可分だったりして、それが今の皇室に与えた影響はものすごく大きかったんだなと思いますね。

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