中3から死ぬまで落語ひと筋で生きた人〜『歌丸 極上人生』

日本のスゴイ人列伝

「兄ちゃん。(落語家を)辞めるなら今日の午後辞めな。やるなら一生やんなさい」桂歌丸が伊集院光(当時三遊亭楽大)にかけた最初の言葉

「日本のスゴイ人列伝」末広がりの第8弾は、桂歌丸師匠(1936〜2018)。

歌丸師匠は、長寿番組『笑点』の回答者、そして先代の三遊亭圓楽の後を継いで、5代目の司会として長年、活躍したのは皆さまご存知の通りです。

長寿番組の人気者だから、この方の人生が順風満帆なのかというとさにあらず。それどころか、山あり谷ありの人生でした。

両親を感じられなかった少年時代

桂歌丸師匠、本名椎名巌さんは横浜真金町の生まれ。

生い立ちから父母の縁が薄く、

父親は歌丸師匠が3歳の時に亡くなり、母親は祖母と折り合いが悪く、

夫の死後息子を置いて、再婚して家を出てしまいました。

祖母は遊郭を営んでいました。

遊郭という世界は、色々トラブルがついて回ります。

「新人」のスカウトでも、自分から出向いていって交渉万端を行います。

そして、トラブルは日常茶飯事。

おっかないお兄ちゃん方とも付き合いながら、決して舐められてはいけない。

人間の裏表に通じ、多少のことでは動じない図太さが必要です。

歌丸師匠のおばあちゃんは「真金町の三大ばばあ」として、当時の反社会勢力の人からも一目も二目も置かれる豪傑でした。

そんな祖母のもと、悲喜こもごもの人間模様が展開される遊郭で育ったというわけです。

おばあちゃんは、歌舞伎や落語などにも親しみ、巌少年は様々な芸を見て、演芸への道を志します。

落語にハマったのは小学生の頃。

ラジオから流れていた落語を聞いては学校で披露していたそうです。

中学生で落語家に…が若気の至りでしくじりかける

最初の師匠、古今亭今輔師匠の門を叩いたのは巌少年がわずか中3の時。

卒業を待たず「古今亭今児」の名前を与えられます。

しかし念願かなって落語家になっても、まあ最初は食えない。

さらに師匠の今輔と折り合いが悪くなり、ついには師匠の元を飛び出してしまいます。

22才の生意気盛りだったのでしょうね。

ご本人は「おばあちゃん子でわがまま」だから我慢というものを知らない性格と言ってますけど、あの歌丸師匠もお若い時には結構際どい失敗してたんだな、と感じます。

化粧品のセールスなどの仕事をしてはみたものの、うまくいかず。そんな中でも、転んでもタダでは起きない!不遇の時代に考え出したという形態模写「化粧術」

結局前の師匠に詫びを入れて、兄弟子の桂米丸に預けられ、後に桂歌丸と改名します。

…と、まぁ笑点で人気者になる前には中々ハードモードな人生を送られていたのです。

笑点と罵倒合戦、「コレでいいのか?」の迷い

そして笑点(前進の金曜夜席から)へのレギュラー出演が回ってきます。

開始直後から歌丸さんは参加して、テレビの人気者になります。

そして歌丸師匠と言えば、罵倒合戦。

有名なのは、当代三遊亭円楽とのやり取りですが、若き日の歌丸さんは、三遊亭小圓遊さんとの罵倒合戦で売ってました。

実は親友だった歌丸師匠と小円遊師匠。テレビでは絶妙な掛け合いで人気者でした

プライベートでは仲良しだった2人ですが、テレビで「キザ」「ハゲ」とやり合ってたら、

仲が悪いイメージが定着してしまうほど、2人の罵倒合戦は名物になっていきました。

また、2人揃って漫談をやる機会が多かったそうなのですが、当意即妙でプロの漫才師も裸足で逃げ出すほどの掛け合いだったとか。

一方で、自分は落語家ではないのか?という気持ちも芽生えた、とのこと。

それは小円遊さんも同様だったらしく、彼は酒でストレスを紛らすうち、身体を壊して若くして亡くなってしまいました。

ちなみに当代円楽師匠との罵倒合戦のきっかけは、

円楽(当時の楽太郎)師匠が、師の先代圓楽から笑点のレギュラーに抜擢された時

まだ笑点でキャラが出来てなかった楽太郎が四苦八苦しているのを気にかけて

私のことイジってもいいから…と言って始めたのがキッカケだったそうです。

笑点の罵倒合戦って、どことなく嫌味がなくて素直に笑えるのは、根っこのところで信頼関係がガッチリできてるからなんだなぁ…

とシミジミ感じます。

死ぬまで落語家を貫く

歌丸師匠は笑点を続けつつ、それ以上のエネルギーを注ぎ込んで、落語に向き合い続けます。

笑点の司会者を降板された後も、酸素吸入器を鼻につけて高座に上がっていた姿は、皆さまご記憶の事でしょう。

ラジオで話しててスゲ〜なこの人と思ったのは、

酸素吸入しているから『舟徳』のような激しい動作の噺は難しいが、この身体で味のようなものは出てこないかと考えている、と話していたこと。

幾度となく病魔に侵された満身創痍の身体で、

新ネタを磨き上げ、圓朝ものの怪談話に取り組む姿は求道者そのものです。

腕を磨き続ける職人気質に、共感と憧れを感じるのですが…自分はここまで出来るだろうか?と感じます。

…入退院を繰り返しながらまだやる!というのは、並々ならぬ覚悟と苦悩があったでしょう。

ただ、歌丸師匠自身はこれが苦労とか、辛いとグチをこぼしていない。

今がどんなに悲惨でも、先に光が待っていると一生懸命に生きる姿を、自著で語っているのが素敵ですね。

芸の世界で花を咲かせた人生の大先輩が、

実は山あり谷ありの日々を乗り越えて来た。

でも振り返ってみると自分の人生は「極上」というんですからね。

改めてスゴいな人だったなぁ、と思いました。

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