フォトショのない時代に写真を描きかえる…「歴史写真のトリック」が面白すぎる

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大学受験時代に、地元の図書館で読みふけっていた「歴史写真のトリック」(アラン・ジョベール著、1989年)。

先日Xでやり取りしてたら、フォロワーさんから「これ、知ってます?」と表紙を見て、あったね~と思い出し、早速マーケットプレイスで買った。

当時2500円した同著も、1000円しないで買えた。いい時代になったもんだ。

この本は、世界史で残された写真に色々手を入れてあるものの「ビフォーアフター」を紹介しながら、その背景を説明する、というもので、その写真に秘められたエピソードも皮肉交じりに紹介してあって、実に面白い。

今回はその中から、3点を挙げて行こうと思う。

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写真から「も」消えたトロツキーたち

旧ソ連の指導者、レーニンが演説をしている写真。この写真は世界史の資料集にもよく登場するので、もしかしたらご存じの方が多いかもしれない。

演台の階段に、赤軍の創始者でもあり、10月革命の大功労者トロツキーと、のちにトロツキーを追い落としたカーメネフが控えている。もしかしたらレーニンの後の出番を待っていたのかもしれない。

しかし…トロツキーは政争に敗れて1929年にソ連を追放。

それをおぜん立てしたことになるカーメネフも、1936年にスターリンに粛清された。

その後、この写真は右のように、演台の中に塗りつぶされて、二人は「写す価値なし」と抹消された。

消したうえ、あえて空きを残す。

先ほどの場合は、分からないように消されたが、今度は「分かるように消した」パターン。消した人物をさらすようなパターンを。

これは1976年、毛沢東の死去で葬儀に黙とうをささげる指導者一同を写した写真。

左がオリジナル写真。撮影数日後に、毛沢東の威を借りて中国に文化大革命を主導した四人組(江青・張春橋・姚文元・王洪文)が逮捕された。

それで、かれら4人の部分だけ「わざと空白にして」写真を再掲載。ご丁寧に説明文には4人の名前の代わりに「×××」と伏字まで打つご丁寧さ。

政治闘争の勝者が、勝ち名乗りをあげるような、ドスの効いた写真となった。

巨大化!進撃の毛沢東

政治がらみの写真のために、どうしても暗い情念が噴き出ているような写真が多いが、最後は、やや笑える一枚を。1944年10月。延安飛行場で毛沢東と朱徳が閲兵を行っているもの。

朱徳は八路軍の大将として中華人民共和国建国に貢献した。クセが強くて敵が多かった毛沢東となぜかウマが合って、「刎頸の交わり」を持ち生涯友情を保っていた、とされる。

しかし、前述する文化大革命では序列を4位から9位に落とされ、先ほど消された四人組が大暴れ。

その一方、この時期は毛沢東崇拝が極限まで進んでいた時期。

その背景を知ったうえで、こちらの写真をご覧いただきたい。

朱徳さんが左に移動、対して毛沢東が巨大化するという…

大きさは強さ、大きい事はいいことだ!というけれど、いくら何でも大きくしすぎ!!

しかし、私は、この写真右で覚えていました。並べてみるとなんか笑えるけど、右だけだと気まぐれで粗野な毛沢東が、なんとなく威風堂々に見えるから、本当に不思議である。

…このほかにも、世界史にからむ写真の改編や、プロパガンダの手口などなどが、これでもかとオリジナルと付き合わされて、アラン・ジョベールの皮肉交じりのコメントも秀逸である。

この本の最大の皮肉は、版元が「朝日新聞社」であること

そして、最後のオチは、この本の版元は「朝日新聞社」であることである。この本の出版された1989年、朝日新聞の夕刊にはこのような写真が掲載され、波紋を呼んだ。

「これは一体何のつもりだろう」から始まる本文。精神の貧しさだのすさんだ心だのと、声をかぎりに読者に訴えている。素晴らしいのでWikipediaから記事を全文、引用しよう。

「サンゴ汚したK・Yってだれだ」

これは一体なんのつもりだろう。沖縄・八重山群島西表島の西端、崎山湾へ、長径八メートルという巨大なアザミサンゴを撮影に行った私たちの同僚は、この「K・Y」のイニシャルを見つけたとき、しばし言葉を失った。

巨大サンゴの発見は、七年前。水深一五メートルのなだらかな斜面に、おわんを伏せたような形。高さ四メートル、周囲は二十メートルもあって、世界最大とギネスブックも認め、環境庁はその翌年、周辺を、人の手を加えてはならない海洋初の「自然環境保全区域」と「海中特別地区」に指定した。

たちまち有名になったことが、巨大サンゴを無残な姿にした。島を訪れるダイバーは年間三千人にも膨れあがって、よく見るとサンゴは、水中ナイフの傷やら、空気ボンベがぶつかった跡やらで、もはや満身傷だらけ。それもたやすく消えない傷なのだ。

日本人は、落書きにかけては今や世界に冠たる民族かもしれない。だけどこれは、将来の人たちが見たら、八〇年代日本人の記念碑になるに違いない。百年単位で育ってきたものを、瞬時に傷つけて恥じない、精神の貧しさの、すさんだ心の……。

にしても、一体「K・Y」ってだれだ。

— 「写’89 『地球は何色?』」『朝日新聞』、1989年4月20日、東京夕刊、1面。

掲載後、ダイバーから「あそこにそんな傷はなかった」と指摘を受け「削ったのお前たちだろ?」と疑惑がおこることに。「そんなはずはない、ウチは朝日新聞社だぞ」と反発したものの…

朝日のカメラマンがサンゴをストロボでガリガリ削って「K・Y」と彫ったことが判明し、社をあげて特大ブーメランが突き刺さった。

そんな歴史的な事実を踏まえつつ、同著を読むというのは、実に味わい深いと思う今日この頃である。

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