私のX(旧Twitter)の投稿は、ちょっと小さいけど、短い尺で書くウンチクの類が多い。
先日も、こんな感じで投稿した。焼酎落書で知られる鹿児島県伊佐市の「郡山八幡神社」の話です。
鹿児島県「郡山八幡神社」の本殿を昭和29年に修復した時
柱貫のところから妙な木片が見つかった。
これは修繕を担当した約450年前の大工が自分の名前と年月日入りで
「住職は焼酎を一度も出さなかった」とそのどケチぶりを書きつけたもので
日本の研究者は、この木片が「焼酎」の初出になると興奮し
海外の研究者は「知識層でもない大工がなんで、漢字とかなを混ぜた文章を書けるんだよ?」と
別のところに驚いていた。
個人的にどこが面白かったか?といえば
450年以上前に、「住職が焼酎を出さねぇ」と書いた愚痴を見つけたら
後世の日本の歴史学者が「ほうほう、この時代から『焼酎』と呼んでいたんだね~」と読み取り、
同じものを見ても、海外だと「大工でも日本だと漢字と仮名をちりばめた、達者な文章を書けるんだね」と違う見方をする、という
「見方の違い」を面白がって欲しかったんです。
…ですが、一見さまかなぁ、なんかこの投稿から…
「大工は当時の知識人です」「西洋人は日本人の頭をバカにしている」という斜め上のリプもチラホラ。
しかも、この投稿が1000以上の「いいね」が付いた辺りから、やたらめったら増えるという珍現象が発生しました。
個人的な書き方として、私 Twitter だと、話を組み立てる最低の材料をうまく組み合わせて
「そこしか光が当たらない」ような書き方をするようになってきて、それが大概の人にはうまくいっている。
だけれど、一定の割合で、書いてないことを勝手に拡大解釈して憤り出したり、
それをなんか、投稿者の瑕疵のように、ギャンギャン言われちゃったりするわけです。
もちろん、そんな人はごく一部で、フツーに面白がってくれるんですが
バズりも大きいと、この手の「自己解釈で勝手に思考が臨界を迎える」人が、まぁ10人とか、20人とか出現するから、
書くのって本当に難しいと思うんですよね。
私は自分の投稿にある程度自信があって、面白いと思ったポイントに読む相手をいざなう事はある程度成功していると思っています。
だから、多くのいいねを集めていて、バズるんでしょうし。
前の仕事で記事を書いても、ニュアンスが違う、こんな事は言ってないという話も聞いたことないし
むしろ「プロってすごいわね。みんなが好き放題言っていた話を、あんなにキレイにまとめるなんて」と妙な褒められ方をされることもありました。
そういえば、昭和大学の本間元康講師(医学部生理学講座生体調節機能学部門)が2022年に発表した論文だと、
スマートフォンで読書をすると紙と比べて深い呼吸の減少および脳の過活動が生じ、読解成績が低下する
ということなんですけど、そういう影響も働いているのかなぁと。
だとしたら(としなくても)私も人の投稿を見て、カッカすることも少なくないから
もしかしたら、結構な確率で誤読しているかもしれんなぁ、
…と結局自分の方に反省がブーメランのように飛んで帰って来た次第です
【関連記事】
最後まで読んでいただきありがとうございます。この記事が面白かったらTwitterリツイートやシェアボタンでの応援よろしくお願いいたします。
コメント