昨日は大学時代の恩師、吉田悦志先生の特別講義に参加しました。
先生は平成31年4月に明治大学を退職され、今回吉田ゼミの有志により、その後退職を記念するとのことで講義が行われた次第です。
令和のお茶の水はすっかり様変わりして、私の学生時代の象徴でもある文科系サークル棟や、師弟食堂、天丼のいもやなどは姿を消しました。
一方で、現在も健在のお店も残っていて、この街を歩き回っていた20年前の面影もちょっと残っていてうれしかったです。
久しぶりの母校。何年ぶりだろう…在学当時に完成したリバティータワーに向かいます。
このリバティータワーの3階が会場です。指定された教室に足を運ぶと在学時よりもスリムで、でも相変わらずチャーミングな恩師に早速お会いすることができました。
なんかもう、感無量というのはこういう思いのことを言うのでしょうか…
恩師でもあり、未来の目標
僕が明治大学に進んだのは、もしかしたらこの人に出会うためではなかったか、と思うことがあります。
1年の時に、数合わせで履修した先生の『日本文学』でその、洒脱で奥深く、どんなものにも優しい眼差しを向ける講義にすっかり魅了されてしまいました。
当時政経学部で、「この世の中がどう動いているのか知りたい」という思いで勉強に励んでいたのですが、先生の人柄にすっかりほれ込んでしまい、入学当初の政治経済を学ぶという路線を変更。
押しかけ弟子的に先生の指導する『日本学ゼミ』の門をたたくことにしました。
当時行ったのは、森鴎外の歴史小説の読解と、司馬遼太郎の作品を読むという2本立て。
森鴎外は『興津弥五右衛門の遺書』や『高瀬舟』、『最後の一句』などを原文で鑑賞しました。
また、司馬遼太郎は乃木希典を描いた『殉死』や、『新選組血風録』『燃えよ剣』などを読んだと記憶しています。どちらの授業でも、「本を読む、とはこういうこと」という手ほどきを受けることができました。
ゼミの人たちと活発な意見を交わし、授業が終わると近くの居酒屋で安酒を飲みながら、『第二ゼミ』で議論を戦わす…
吉田先生とも意見がぶつかることもしばしばでしたが、決して否定することなく、不肖の弟子にも快く胸を貸していただきました。
私が卒業後は、阿久悠の研究にも力を入れられ、日本各地を回っての講演も精力的に行っています。
決して立ち止まることなく、どんどん新しい研究を続けられた吉田先生は、僕にとって恩師であると同時に、未来の自分の目標でもあるのです。
当日の様子は
世代に関係なく、その慕われっぷりを示すのが今回の講義の参加人数。
なんと講義に100人もの元教え子たちが、先生に会いに集まりました。
その後、万難繰り合わせて懇親会に駆け付けた80有余人も加えると、190人!海外からわざわざ「飛んで」来た方もいる、というから驚きです。
先生はその長い教授人生で多くの生徒を指導されてきましたが、世代に偏りなく集まっていました。
最終講義のテーマは『老年とは青春の余熱で生きるある期間である』
ご本人は「全編余談」とおっしゃいましたが、中村光夫先生や平野謙先生をはじめとする出会いや様々な仕事や経験を通して「吉田悦志」という人がどのようにして形作られて来たのか
…というお話でした。
何より、驚いたのが京極夏彦の「ヒトごろし」まで手に取っていること。
「余熱で生きる」とご謙遜をおっしゃっていますけれど、先生…
世間では、それは「まだまだ燃料をくべている」っていうと思います…^_^
それに学生時代に親しんだ『悦ちゃん節』は健在…いやそれどころか益々磨きがかかり、
2時間ちょっとの講義は大変懐かしく、嬉しく、楽しい時間でした。
その後は懇親会、2次会と進み、世代をまたいだゼミ生(60代~20代)が「悦ちゃん大好き」という共通項で結びつているだけの人間同士で、和気あいあいとお酒を楽しむという形になりました。
私もあまりにテンションが上がりすぎ、途中から訳わからなくなって…気が付いたら埼玉の自宅でした。
あー、ホントに楽しかった…
最後に先生からいただいた返礼品を開けたら、『図書カード』でした。
「本を読み、舞台に足を運んで感じ、話そう」
と常に説いておられた、先生の教えを改めて胸に刻んだひと時でした。
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