久しぶりに「日本のスゴイ人列伝」を再開します。
今回のスゴイ人は『一日一善』の笹川良一さん
実はこのシリーズ考えた時、いの一番に閃いたのが笹川良一(1899〜1995)さん。
生前は甚だマスコミでの評判が悪く
曰く、「右翼」「A級戦犯」「モーターボート資金を使って政界を動かす影のドン」
ウチの親に聞いても「悪い人」としか出てこない。
しかし、生前の彼を知る人からの証言
1978年生まれの私や、その同年代なら誰でも知ってる『一日一善』のCMや、
死後刊行された彼の日記や研究書を読んでみると、それとは真逆のイメージが出てきます。
海外ではむしろ、リョーイチ・ササカワはフィランソロピスト(慈善事業家)と紹介されているぐらいです。
ここまで評価が真っ二つで、しかも真逆な人間は中々いない。
それが彼を取り上げたいと思った大きな理由です。
とりあえず、世評の一つ一つを検証してみる
右翼
まず彼は右翼だった、という話から。
太平洋戦争までの彼は、国粋大衆党という組織の総裁を務めていました。衆議院議員として働いてもいます。
ただ、どっちかというと、アメリカとの戦争には否定的だし、大政翼賛会にも推薦を受けていない。国策にも(一議員としての立場から)結構かみついていました。
その活動資金は自分がすべて事業で儲けたものをつぎ込み、誰かに無心をしたり、おどして巻き上げたものでもない。まして軍部との関係で小銭を稼いだわけでもないのです。
言論に対する暴力は絶対反対の立場を崩さず、そういう意味で「異色尽くめ」の右翼であったと言えると思います。
自身でファシストを自称していましたが、これはムッソリーニのように国家のもとで一つに団結するという意味合いが多分に含まれていて、
戦後はそれがさらにスケールアップして、地球全体の規模で考えるようになったと考えると
そんなにムチャクチャな転向でもないのです。
A級戦犯
「A級戦犯」についてはどうか、と言うと…彼はいわば立候補して出頭したようなもの。
その理由は「巣鴨プリズンに入っている『戦犯』の人たちは今まで人を裁くことはあっても裁かれた経験はない。戦前、言われない罪で法廷闘争をやった経験を自分(笹川)は持っている。彼らにそれを教えて、日本が不当な立場に置かれないように教えるため」と言ってます。
で、わざとGHQに対する批判演説を行って、出頭命令を引き出したのです。
そして何よりも大事ですが、彼は起訴すらされてない。「不起訴処分」になっています。連合国からしたら小憎たらしい国家主義者がノコノコと乗り込んできたくらいに思って取り調べてみたものの、
戦犯として関係性ゼロで叩いても全然ホコリが出なかった、ということです。
また、出所後は株式投資で儲けたお金で、生活苦にあえぐ戦犯の家族を支援していました。
生前はほとんど紹介されていませんでしたが。
「モーターボート資金で政治に影響力」
戦後、モーターボート事業に目を付け、
これを育てたのは笹川良一さんで間違いないのですが、最初は初期投資がかかり、儲かるかどうかもよく分からないものでした。
最初は「笹川の私財で損失を補填する」なんてことも言わなくちゃいけないほど
事業としてはショボかった、といえます。
これが事業として一本立ちして莫大な利益を生み出すことになるのですが、
笹川本人は一銭も自由にできない透明性の高い組織でした。
他の公営ギャンブルが特殊法人として、関連省庁の天下りを受け入れる一方で
財団法人日本船舶振興会はそのようなことをせず、他の公営競技と比べても格段にスリムな組織であり、その上、笹川本人は無報酬。
その分儲けを出して、その利益を日本の造船技術の向上に惜しみなく注ぎ込み、そちらがひと段落すると今度は慈善事業につぎ込みます。
慈善事業にしても、WHOの天然痘根絶事業を支援(民間団体としては世界一)し、有史以来人類を苦しめてきた天然痘を完全に封じ込めるのに絶大な貢献をしています。
ハンセン病のワクチン接種でも笹川本人が「被験者第一号」となり、安全性をアピール。普及に努めてもいます。
その他、子どもの健全な成長にと、各地に「B&G」の施設を作り、施設を地元自治体に寄付したりもしています。
じゃ、なぜ嫌われたのか?
とまぁ、とにかくやることがスケールがでかくて、自分がどう思われようとあまり気にしない性格も相まって、
生前日本では「なんか後ろで悪事を働いているのではないの?」
と書かれまくっていました。
実際は、先ほど書いた通り。
ただ、誤解を受けやすいのは、「財宝を積んだ沈没船を30億かけて引き上げてみたら、錨一つしかなかった」みたいな話もあるから。
笹川本人の名誉のために言っておくと、これは笹川本人のポケットマネーでやったこと。
また「自分がCMに出るのは売名行為」という批判もあったけど「自分が出れば、その分ギャラが浮く」から。
自分をモデルにした「孝子像(こうしぞう)」も建てているけど、もともと笹川本人が母親孝行なところがあって、まぁ誰を傷つけているわけでもなし( ^ω^)・・・
とまぁ、つらつらと書いてきたんですが、要は笹川良一という人物のスケールってとてつもなくデカい。
そんでもって、やることなすことを大成させる経営手腕がある。
本来ならそれで多少は美味いもの食ったり飲んだりするんだろうけど、「一日一善」「親孝行」と誰もが反論できない正論を掲げて、実際自分も実践して慈善事業に邁進…となると
大半の人が、笹川さんがあまりにも完璧すぎて我が身を省みる気すらなくなるでしょ。
マスコミは元々「光あれば影あり」論法が好きなので笹川さんの生前、上から見たり、下から見たりと色々さぐってみたけれど、
ついに一つの「巨悪」も見つけだせなかったわけであります。
『ボートに乗った福の神』の遺産相続
1995年に笹川良一さんは亡くなります。享年96。
200歳まで生きるといっていたことを考えると「夭折」なんだと思います。
最後に「莫大な富」がどうなっていたか?を検証しましょう。
遺産は総額53億円。ただしそのほとんどが自宅、山林、非上場企業の株式という換金しづらいもので、
換金できそうな美術品は偽物だらけ!
対して借入金は37億円。差し引き15億円となり、相続税約7億5千万円也。
相続した息子が税の支払いに苦労するほど、なんもなし!
普段から「孫子の代に美田を残さず」を公言していた笹川さん。
有言実行で稼いだ額を「世のため人のため」にキレイに使いきった一生だった、といえるでしょう。
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